0500
2006-06-03
魔法の杖
 舞台裏に息をひそめるわたし。
 壁や暑いカーテンをくぐって、
こもったマイクの声が微妙に響いてきていた。
 バチバチバチバチ。
 声がやむと拍手の音。
 知らない制服の人が階段を降りてくると、
わたしの隣の男の子が立ち上がった。

「緊張するなよ、がんばれ」
 その子の顧問の先生っぽいヒゲの人が肩を叩く。
 でも男の子はぎくしゃくと階段を上っていき、
スピーチがはじまった。
 緊張するから他人のは聞かないでいようと思うのに、
どうしても耳に入ってきてしまう。……ぼろぼろの話が。
 そこかしこでつっかえつっかえ、
話の間にも『あー』とか『うー』とか聞き苦しいつなぎが大量に。
 でも、あれは何分か後のわたしの姿なのかもしれない。
 ああ〜、やだよぅ。あんなところで見世物になるなんて。
こんな大勢の前で恥かくなんて思ったら、
なんだかおしっこもれちゃいそう。
「あ、どこ行くんだ? もう次だぞ」
 付き添いの先生が言う。
「トイレです、トイレ」

 逃げるようにトイレに向かうと、その前に知ってる姿があった。
「あ……先生」
 前に教育実習でうちのクラスに来たひと。
「ほんとに来てくれたの?」
「もちろん。かわいい元教え子の晴れ舞台だもんね」
 にこっと笑う顔になんだかとても切なくなって。
「でも、来なかったほうがよかったかも知れない。
わたしきっと失敗するよ。もうこのまま帰っちゃいたい」
 すると先生はわたしを体に引き寄せて、
「なーに言ってるの。だいじょうぶだよ」
 頭を撫でながら言った。
「今までどんなことした? いっぱい練習したんでしょ?」
「うん」
「ならだいじょうぶ。そんなにがんばったんだもん、
できないわけがないじゃない」
「……そかな」
「そうだよ、そう。わたしが保証する」
 わたしはぷっと噴き出して、一歩後ろに下がる。
「先生、意外とうそつきだよね」
 すると先生はすこし驚いた顔をして、いたずらっぽく笑った。
「でもわたし、信じちゃうよ?」
「うん」
「じゃ、行くね」
 後ろを向きかけると、
「あれ? トイレは?」
「ひっこんじゃった」
 くすくすと楽しそうに息をこぼして、
「じゃあ、行ってらっしゃい」
 柔らかな声でわたしを押した。
 わたしは精一杯の笑みで応える。
「行ってきます!」