「さあ、この像を踏みつけ、邪教を捨てることを示しなさい」
多くの兵隊たちを後ろに従え、宣教師は言った。
村の広場。村人達は固まって、
地面に打ち捨てられた自らの神の像を見ている。
彼らのだれもが、できるなら今すぐにでも抱き起こし
清めたいと願っていた。しかし、それをすることはできない。
「なにをしているのです。さあ、踏みつけなさい」
宣教師は努めて穏やかに言った。
だが、その心は沈鬱としている。
後ろには命令を下された兵士。
彼らはたとえ自分がどう思おうと命令に従うだろう。
すなわち、改宗せぬようなら殺せ、と。
……自分は人を救うために神に仕える身。
たとえ異教の信徒としても殺される姿は見たくない。
できるなら、生き延びるために信仰を捨てて欲しい。
宣教師は思う。
しかし一方で信仰を持つ者として、
自らの信仰を貫き通し、
その身さえ投げ出して欲しいとも思うのだ。
二つの矛盾する考えに、なぜ自分がこんなにも
苦しまねばならないのかと彼は改めて思った。
……そもそもこれはなんなのだ?
なぜ相手の信じるものをむりやり捨てさせねばならない?
わたしはわれらが神を信じているし、
それは彼らにおいてもそうだろう。
もし彼らがわれらの神を信じると言うのなら
喜んで受け入れたい。
そのためには布教もするし、多くの苦難も厭わない。
なのに、これはなんなのだ。説教もせず道義も伝えず、
その前に信じるものを捨てろなどと。これではまるで……
彼は頭を振り、考えを振り払おうとした。
「……ああ、神よ……!」
彼はつぶやき、祈る。
だが、心に渦巻く言葉を消すことはできなかった。
国の支配のために神の名を使うわれわれは……
神の名を語る悪魔と同じ……。
彼は固く唇を結ぶ。
今まで自分の信仰を疑ったことはなかった。
もし自分が今の相手の立場ならば、
信じるもののために死ぬ覚悟がある。
子もいない、妻もいない。
そのようなときのために、ほだしは全て捨ててきた。
だが、信仰のために
すべてを捨てさせる神とは一体なんなのだ?
神と自分の命をはかりにかけるくらいなら、
自らの命を差し出せと。
生きることが神へと通じる道として、
たとえ苦難を乗り越えても生き延びることが
信仰の証となることもあるのではないか?
宣教師は苦い気持ちで、人々を見た。
彼らはどうするのだろう?
このような理不尽な困難にどう立ち向かうのだろうか。
やり切れぬ思いだけが彼の中に募っていく。
できるなら時間をやりたい。
説教をし、神の言葉を伝えたい。しかし、その時間はない。
「さあ!」
自分の中の疑問を振り払うように彼は叫んだ。
「生き延びたくばこの像を踏みなさい!」
踏んでくれ……! 彼は切実に願った。
「ならば、わたしがやってみせようかね」
そのとき 声があがり、
群衆の中から歩き出す者がひとり。
背は曲がり顔には深くしわの刻まれた、
こぢんまりとした老女であった。
ざわめく人々。だが彼女は閉じた目の代わりに、
手にした杖で辺りを見るかのように
地面を伺いながら足をすすめる。
しっかりした足取り。だが、盲(めしい)だ。
向かう先がわかるはずもなく、
闇雲に歩を進めていくしかない。
しかし、老婆に向かうべき場所を告げるものなど
だれもいなかった。
すべての者が言葉もなく彼女の歩みを見つめる。
焦れるような、祈るような長い長い時間が過ぎた。
そしてついに老女の杖の先が像をとらえると、
人々が息を飲む間に老女は足を上げ……それを踏みつける。
その瞬間、
「なんでだ、ばあさん!
あんたなにを踏んだかわかってるのか!」
村人の怒号。宣教師は安堵の息を漏らしながら、
軽蔑に似たあきらめも感じていた。
しかし老女は振り返り、平然と言う。
「これは、わたしたちの神かね?
わたしにはただの石ころにしか思えないよ」
「……あんたは目が見えないからだ!」
叫び声に、老女はその声の主を見た。
……いや、見たように見えた。
「本当に目が見えるならよく見てごらん。
これが、神かい? わたしの神は、
こんな石なんかじゃありゃしない」
見えぬ目で、だがしっかりと人々を見、言ったのだ。
「たといこの口が神を嘲り、
この足が神の像を蹴ろうとも。
……わたしの中におわします神は
わたしの嘘を全部見抜いて、
すべてをお許しになるはずさね」
老女の言葉に、だれもが言葉を失った。
宣教師は彼女の背後に光を感じ――
思わず祈りをささげずにはいられなかった。