――なにかと思った。
赤信号で道路を渡っていた男が、
目の前から突然いなくなった。
どん、という音、空気の振動。
続いてなにかがこすれるような轟音。
次の瞬間、叫び声があがった。
道の真ん中で寝そべる男。
次々と車が急停車していく。
信号待ちの人々が遠巻きに男を取り囲むが、
だれも手をかそうとしない。
しかたなくそばによってみると、
この自業自得男は呼吸もせずに横になっていた。
『人工呼吸』。
頭の中によぎる言葉。
……するのか、ぼくが?
マナーも守らない不愉快な男のために、
練習だけしかしたことのない唇を汚されなきゃいけないのか?
だがもたもたしていては男も完全に死んでしまう。
ぼくは唇を結ぶと、あたりを見回した。
その中に心配そうにこちらを見つける、かわいい感じの子。
「そこの人」
ぼくは指差して呼んだ。
「この男を助けたいと思いますか?」
あっけにとられた顔をするが、
一瞬時間が開いてそっとうなづいた。
「なら……ぼくと、キスしてください」