今日の家庭科は……調理実習。
ちょっと楽しいはずだったのに、
わたし(たち)は混沌の中にいた。
たんたんたんっ。
「ひいっ!」
まな板をしっぽで叩くアジ。
思わず身を引くと友達と肩がぶつかる。
そっとその肩を押すと
「ち、ちょっと……」
振り返ってわたしの後ろに来てしまった。
「ほらそこ〜、包丁もあるんだし、不用意に逃げない」
先生の声。
「せんせ〜……」
「情けない顔してもだめ〜。
今日はグループで一匹開いてもらうからね。
ほら、せっかく活きのいいのをもらったんだから、
はやくはやく」
「え〜」
「あ、落ちるよ」
見てみると、しっぽを振り続けるアジが
調理台の下へ身投げをするところだった。
「わ、わっ」
慌てて駆け寄り押さえるけれど。
魚はぬるぬるぴちぴちと手の下で
わたしを拒否しようと暴れる。
「うわぁ」
すごく怖くて気持ち悪くて、
思わず手を離そうとすると
「はい、そのまま〜」
後ろから先生がわたしの手に手を重ねた。
「ほら、さばいちゃおう」
「ええええっ」
人の言葉がわかったように、激しく暴れる魚。
「やだ。やです! 待って、離して〜!」
先生の手が離れ、わたしは必死に飛びのいた。
押さえつけていた手のひらには、ごわごわした魚のいのち。
殺さないで、殺さないで。
そう主張するように暴れた魚の感触が残っている。
「なーに、どうするの? いつも食べてるものでしょ?」
ぎくっ、とした。
いつも食べてる、わたしが食べたことのある、もの。
わたし、こんなの食べてたんだ……。
まな板を見ると、アジはさっきので疲れたのか、
かすかに息をしてどこかぐったりしている。
そっとそばに寄り、その姿を見た。
……ぴたん、ぴたん。
わたしがわかるのか、精一杯の力を振り絞って
しっぽを動かす魚。どこを見ているかわからない目が
わたしの奥を見つめ、殺さないでと
最後の抵抗をしているようだった。
「ごめんね……」
キミもつかまらなければ、別の人生……魚生? が
あったはずなのに。今まで生きてきたのが、
こんなとこにつれてこられて。
殺されるってどんな気持ち?
最後にその目に映るわたしを、恨まずに許してくれる?
わたしはふきんをそっと魚の顔にかけ、頭を軽く手で握った。
もうあきらめたのかあまり動かない魚。
「どうする? まず頭を落としちゃうの?」
頭……。
ごくっとつばを飲み込む。
包丁をにぎり、あたまの下へ……。
――ばだばだばだっ!
突然しっぽが激しく跳ねる。
「きゃあああああああっ!」
痛い! 痛いんだ。
「いやああああああ!」
ごめん、ごめんね。でも今離したら、きっともっと苦しいから。
わたしは叫び声も止められないまま、包丁を動かした。
「あああああああ!」
血が! 血が出てる。殺してる、わたしが殺してるんだ。
「あああああああ〜……」
ごめん、ごめんねえ。
包丁を上げると、ごりごりと、
そしてぶちぶちとなにかを引き裂く振動が手の中に伝わってくる。
「ううううう」
ごめんね、ごめんね……。
返す刀で首元からおなかへ。
光を映すきれいな丸みに亀裂が走ると、
最後にぱたりとしっぽをふって、魚はそれきり動かなくなった。
「うう〜……」
涙があふれて。
魚を殺した刃物を置くと、わたしは壁際に向かった。
窓ガラスに頭をつけ、止まらない涙をただ流す。
ぬぐおうとした手からはむわっとした
生臭いにおいがして、さらに涙があふれてしまった。
ひどいことをした。わたしは、ひどいことをした。
あんなにきれいな生き物を。
海の中でこそ輝くあのいのちを。自分勝手に汚して、
こんなところで殺してしまった。
食べるってこういうことだったんだ。
生きるってこんなことだったんだ。
手を握りこむと、ぬるっと魚のなごりがわたしを責めた。
「たまんねえ……」
そのとき、後ろでぽつりと抑えた声。
振り返ると一人の男子が目に怪しげな色を映して、
血だらけの手で自分の開いた魚を見つめていた。