妻と散歩していると、前を歩く女性の肩に鳥のフンが落ちた。
「うわっ、サイアクー」
片方が言って、もう片方が笑う。
……何が最悪か!
わたしがこどものときは どれを最悪と言っていいか
わからないほどだった。
毎日血と煙とやけこげた肉のにおい。
空を見ては飛行機の影におびえ、
昨日別れた友達が、次の日に穴だらけになっていた事もある。
それでもまだましだった。
戦争に行き、殺す恐怖と殺される恐怖、
死んでゆく仲間に自分を映して気を病んだ兄。
敗戦後に敵国の兵隊に汚され自ら命を絶った姉。
だが、わたしは生きている。
自分が生き延びる事に精一杯だった日々。
盗みもしたし、殺されるほど殴られもした。
憎い外国兵に物乞いもした。
それでも生きなければならなかったんだ。
それをこんな……こんなチャラチャラした奴どもが
最悪を語るなど……!
真の最悪がどういうことか、目に物見せてくれようか。
「それだけ、幸せな世の中になったということですよ」
隣の、妻が言った。
わたしが見ると深くしわの刻まれた顔で、
だがあの頃のように笑ってみせる。
「……そうだな」
わたしは妻の手を取った。
妻は一瞬身を硬くしたが、気づかない振りをする。
「あ、見て」
小さく女性たちの声。
「ああいうの、ちょっといいよねえ」
わたしは、誇らしく妻の手を引いた。