0274
2006-03-25
つなみ少女
「津波が来たぞ〜!」
 今日も丘の上で少女は早鐘を鳴らした。
 海辺にいる者、家にいる者は
その音にいっせいに丘へと駆け上ってくる。
 少女はそれを見てけたけたと笑うのだった。
「おまえ、また鐘を鳴らしたんだって?」
 夜になると、家に戻ってきた母親が少女を叩いた。
「何でそんなことするの!」
 何度叩いても笑みを消さない少女に
いっそうの憎しみを込めるように何度も何度も叩くのだった。

 そしてまたある日、少女は鐘を鳴らしに丘へと向かう。
 毎日は鳴らさない。
真実味を出すには間をあける必要があったから。
「津波が来たぞ〜!」
 はるか遠くまで見渡せる、丘の上のやぐらにのぼり、
警鐘を打ち鳴らす。すると豆粒のような人が
わらわらと動き始める。こっちへ向かってくるのがわかる。
自分が鳴らしたとわかれば、
またみんなが口々に文句を言うはず。

 少女はやぐらを駆け下りて、走り出そうとした。
 が。手をつかまれて振り向くと、
そこには彼女からすれば
見上げるばかりの若い女性が立っていた。
「こーら、津波なんてこないでしょう?」
 伸びてくる手。少女は身をすくめる。
 でも、そこで味わったのは痛みではなく、はじめての感覚。
「叩かないよ。だれも、叩かない」
 今まで聞いたことのないような音色の声で、
今まで知らないやわらかさで少女の頭を触る。
 少女はその手を振り切って逃げ出した。
はじめて見る女性が、自分に何をしているのかが
わからず怖かったから。

 またある日、少女はそのよそ者が森の中に入っていくのを見た。
 女性はあたりを見回しては地面を掘り、
地面を掘ってはまた歩く。
 へんな奴がいる。少女は警戒した。
でも、それ以上の興味には勝てなかった。
 そばに近づいて行くと女性は振り返り、
うそつきな顔で訊ねる。
「ねえ、ここらへんに、
もちもちした土があるところ、知らない?」
 ばかな女。草にも食べ物にも役に立たない
あんなものをどうしようと言うのだろう。
「知ってる」
 少女はすこし頭のゆるい女性を従えて、
泥のあるところに行った。
「わあ〜」
 その人は土をこねると、小さい子のように喜ぶ。
そしてまた少女に手を伸ばし……
こんどは泥だらけの手をひっこめて、少女を腕の中に入れた。
「ありがとう」
 そんなことを言われるのも、
そんな風にされるのも初めてで、
女の子はいごこちの悪さに鼻がむずむずした。
 でも女の人はあたたかくいいにおいがして、
そんなに悪い気はしなかった。

 しばらくしたらまた来て、と女性は言ったけれど、
少女は次の日も女性を見に行った。
 転がっている石を並べて、泥を塗ってまた石を詰む。
 やっぱりこの人はばかだった。
大人のくせに、木も使わずに小さな小さな家を作るつもりでいる。
「こんな家、あたしでも住めないよ」
 少女が言うと、
「うん、知ってる」
 その人は言って、手で頭を触る代わりに腕の中に少女を入れた。
 あんまりかわいそうだったので
周りから石を運んでやると、
女の人はまた気持ちいい事をしてくれた。
 それを何日かしてようやく小さな家ができ、
女性はとても喜んだ。

 すると今度は小さい枠の中に泥を入れて、
何個も小さい塊を作りはじめた。
 このおかしなことは見ていて飽きなかった。

 そうして何日かしたあと、
その土の塊を小さな家の中に入れ、家の外で火を焚いた。
そんなことしても自分が家の中にいなくちゃ
暖かくもないのに、一日中燃やすつもりだと女の人は言った。

 その次の日たずねていくと、
女の人は寝ていたので、横にいっしょになって、寝た。

 さらに次の日、その人は目の前で小さな家の扉を開け、
中から泥の塊をとりだした。
でもそれは、泥より硬くなっていて、
ぶつかりあってかつんと鳴った。
 見たこともないことに、知らない間に
この人が中身を入れ替えたのだと少女は思った。
 けれど、女の人が次に取り出したのは、
見たことのある小さな泥の円盤だった。
これも信じられないことに、
色が変わってこつんと小さな音を立てた。

 他の四角いのとは違い、何か模様の入ったそれを
少女は欲しくて欲しくてたまらなかった。
それに気づいたのか女の人は
「受け取って」
 と言った。
「あたし、こじきじゃないよ」
 怒って少女が言うと、
「知ってる」
 女性は言った。
「手伝ってくれたから、もらって欲しいんだ」
 欲しい、欲しい……!
 少女は手を伸ばし、でも、途中でなんとか止めた。
「おかあさんが怒るからもらえない」
 すると女性はなぜか痛そうな顔をして、あたたかな手で
少女の手のひらの中に、それを入れた。

「正しい何かをしたときは、そのお返しをもらっていい。
それと同じに、悪いことしたときは罰を受けなきゃいけない。
そして、悪いことをしていないとき、
罰は受けなくてもいいんだよ」
「でも、悪い子だと叩かれるんでしょ?」
 女の子が訊くと、
「ううん。悪い子なんていない。
悪いことをしたときだけ、悪いことをしたから、罰を受けるだけ」
 女の人はおとうさんとは違う、よくわからないことを言った。
「じゃあ、これもってて」
 女の子はそれを渡す。
「うちに持って行ったら、きっと捨てられちゃうから」
 すると女性は円盤の小さな穴に紐を通して首から提げた。
 自分のこのすてきなものが、
このすてきな人と一緒にあると思うだけで、
彼女は胸のあたりがあたたかくなる気がした。

 それから女の人は、
固い泥でまたちいさな家を作ろうとした。
何度も泥を固めては新しい家に使い、
そばに前より立派な家ができた。
 今度女性が作るのは、たくさんの形。
首の長い鳥のようなもの、
水をすくう木の実の殻のようなもの。
そこへ女の子を呼び、すこしだけ壊させた。
少女はもったいなく思ったのに、
女性は楽しそうにうなづいた。

 できたものはしばらく置いておいて、
白くなったらきれいな色をつけてからちいさな家に入れる。
出てきたものは、どこにもないくらいの
輝くような色をしていた。
 こんどのはぶつかりあうと、ちりんときれいな音がした。
「これ、きれい」
 少女が言うと、女の人は目と口を長くした。
「すてきでしょ? 土だって誰かがいれば、
こんなに変われる。石みたいにかたく、石より優雅に」

 女性はそれを持つと、村の辻に行き、声を出した。
「船のお守り、食器に飾り、焼き物はいかがですか?」
 たくさんの村人が来て、みんなそれを欲しがった。
 来る人があると、女の人は言った。
「これは、この子が見つけた土で、
この子と一緒に作ったんですよ」
 女の人は少女の頭を触り、
村の人はうそつきの顔だったけれど、少女を見た。
「へえ、すごいじゃないか」
 そんな風に見られて
そんなことを言われたことはなかったので
とてもいごことを悪く感じた。
 女性の作ったきれいなものは食べるもの、
着るものにどんどん変わった。

 持って来たものがなくなると、
女の人は少女を見て、言った。
「どうしてみんな、笑ってたと思う? 誉めたと思う?」
「え?」
 よくわからなくて聞き返すと、
「あなたがとてもすばらしいことをしたから。
だれかのためになるなら、だれか応えてくれる人がいる」
「あたしを見ても怒らないの?」
「もちろん! こんないい子を怒るわけないじゃない」
 女性は頭を触り、腕の中に入れた。
女の子はそれがすっかり好きになっていた。
「あたしがそういうことしたら、嬉しい?」
「もちろん!」
 女の子は女性がうそつきの顔をしても
嘘をつかないとわかっていたので、
その顔を見るのがとても気に入っていた。

 女性のそばにいても叱られないとわかったので、
女の子はいつもそばにいた。
 ……村が女の人の作ったきれいなものでいっぱいになるまで。
 女の人はしばらくして、ほかの村に行くと言った。
「どうして?」
 女の子は別れたくなかったので、行かせないようにしたかった。
「大勢の人がわたしの作ったものを使ってくれた、
喜んでくれた。まだ他の場所でも、
喜んでくれる人がいるかもしれないから」
「あたしが悪い子だから行っちゃうの?」
 訊ねると女の人はいつものように腕の中に入れて、
「そんなことない。あなたはいい子だよ」
 痛いくらいにぎゅっとした。
「まだわからないかもしれない。
でもわたしは行かなくちゃいけない。
それに、たとえどんなに離れていても、
わたしはあなたと一緒だよ」

 うそ! うそ! うそ!
 言いたかったけど、言うと
きっと胸が痛くなる顔をするからやめた。
「あなたにはあなた自身の道がある。
それがなんなのかはわからないけど……。
もしかするとわたしの道と重なることがあるなら、
いつかきっとまた会える」
「ほんと?」
「うん。だから、今はこれまで。
すてきな人になって、いつか、また会おう?」
 女性は首にかけていた円盤を女の子に渡すと、
歩き去ってしまった。

 それから何日もしないうちに、
女の子はとても胸が苦しくなって、女の人に会いたくなった。
 どうしてもどうしても会いたくて、
悪いことをしたら戻ってくれると思って、
鐘のあるやぐらに登った。
 遠くまでずっと見える海。
はしっこまで響くように鐘を叩こうとしたとたん、
女の人の顔を思い出した。
 今これをたたいたら、きっと胸が痛くなる顔をする。
 だから女の子は叩くのをやめて、
彼女がおぼえているかぎり、はじめての涙をこぼした。