空はいつだって黒かった。
大人たちは、そしてそのこどもたちは、
空は黒い雲に覆われているのだと信じていた。
そして彼女も空はずっと黒くあり、
そして黒くあり続けるものだと信じていた。
学び舎からの帰り道、彼女が道端に咲く花を眺めていると、
男の子たちが何かを叫びながら走ってくる。
外人だ、外人! そんな声。
がいじん? 見た事もない場所や、
見たこともない体験をした人がいる。
女の子は道の先へと足を向け、
歩く歩幅はいつしか心のままにいつしか走り出していた。
村の広場で人をかきわけて中へ行くと、
そこには黒尽くめの大男と、見た事のない髪の色をした少年。
大男が知らない声を出すと、目隠しをした男の子が
女の子にもわかる言葉で喋りはじめる。
なんだろう、なんでそんなことをしてるのだろう。
女の子は人形芝居を見るように
じっと男の子を見つめていたけれど、
その口から出るのは神さまのこと。
神様はただ一人、それ以外の神様はまがいもの。
神の救いを得るために、人は苦労しなければならない。
あまりにそれしか喋らないので彼女の耳はお休みをとり、
少年の目隠しの下を考え始めた。
その目は何色? 髪と同じ色?
それとも宝石のように光る色?
しばらくすると話が終わり、集まっていた人たちも
散り始めたので少女は二人の後について行った。
向かう先は一軒の農家のものおき。
そこまでついていくと大男が少年に何かを言い、
少年を残してものおきの中に入って行った。
外に残った少年は女の子の方を向いたので、
「こんにちは」
女の子は声をかけた。
「こんにちは」
女の子にもわかる言葉で彼は応えた。
話ができるとわかると、彼女はもうがまんできなくなって
言葉をだした。
「どうしてここに来たの?
なんであの男の人は変な音を出すの?
あなたは人間なの? 神様ってなに?」
他にもたずねたいことはたくさんあったけれど、
あまりにありすぎたのでのどのところで詰まってしまった。
少年は少女の言葉にぽかんと口を開けて、
それから小さく笑った。
「そんなにいっぺんに言われてもわからないよ。
とりあえずぼくはあの宣教師のお供。
彼の言葉を、彼が喋れない国の言葉に直すのが仕事なんだ」
そしてちいさく息を吐くと、笑顔でたずねた。
「それから?」
一度にしゃべってしまったので
何を訊いたのかもわからなくなって、
彼女はのどの一番手前にあった質問をする。
「なんで目隠しをしてるの? その下はどうなってるの?」
「ああ、これ? ぼくは、目が見えないんだよ」
男の子が頭に巻いた布を上げると
、その下には閉じた目があった。
「その下は? 目はあるの?」
「目はあるよ。でも、つぶしてしまった」
「どうして?」
彼女は驚いてたずねた。
「それは……」
彼は声をひそめると、あたりを伺うように耳をすまして、
「あまりにも美しいものを見てしまったから」
「それはなに?」
彼女はたずねた。
「そら、だよ」
彼は答えた。
「そら?」
思わず見上げた空はいつものように鈍く黒い雲を蓄えていた。
「今もきっと、黒くあるんだろう? でも、ちがう。あれは雲。
その上には青い空があるんだよ」
「青い? なんで青いの?」
「さあ、わからない。でも一度だけ、海で嵐にあったとき。
ぼくは雲の切れ間からそれを見たんだ」
「海? 海ってなに?」
少年はすこし驚いたけれど、続けた。
「そうか、ここは山だし、見た事はないんだね。
海は、水だよ。川をずっとずっと広くして、
はるか地の果てまでずうっと見えるくらい大きい」
「わあ〜」
彼女は見たこともない空や海に心奪われた。
青い色の空、どんな色? 広い海、広い水。
海に行ったら空が見える?
彼女はそのすてきなことを
自分だけに留めておくなんてできなかった。
ほんとの空は青いのだと言うようになり、
とても信じることのできなかった周りは彼女をばかにしはじめた。
でも彼女は疑わなかった。
見たからこそ、見られなくなったときに
目をつぶしてしまうほど美しいもの。
それがないと信じるほうが少女には難しかった。
少女がばかにされ、うそつきと呼ばれるようになったある日。
いつものように会いに行くと、少年はうつむきながら言った。
「空が青いなんて、もう言わないほうがいい」
「どうして?」
彼女が訊くと、
「あれは嘘。きみをただだましてただけなんだ」
「うそ」
彼女は言った。
「ほんとだよ。ぼくは嘘つきだ」
彼は顔を覆う布を取ると、その下にある目を開いた。
「う……」
まぶしそうに目を細めながら、男の子は少女を見る。
「ずっと話していたけど、君の姿は初めて見るね。
栗色の髪に栗色の目。背はぼくと同じくらいかな」
自分を見る少年の目を見つめ、少女は言葉を失った。
「どうしたの?」
「目……」
少年の目。
「空の色ってそんななの?」
彼の目は今まで見たどんなものよりもきれいで、
そして青く輝いていた。
「どうだろう。自分じゃ比べられないから」
「わあ!」
少女は両手を打ち合わせ、そしてにっこりと笑う。
「じゃあ、その目にもう一度、青い空を見せてあげよう。
そしてそのとき、わたしがその目を空と比べる!」
あふれるほど喜ぶ少女に、男の子は小さくため息をついた。
「ぼくがうそをついていたのに、空の話はまだ信じるの?」
女の子はその言葉に笑みをこぼし、
「わからないけど、もしかしたら、どうでもいいのかもしれない」
自分でも止められないように言葉を出しながら、
彼女は少年を見る。
「いま、すごくわくわくしてる。
今まで見ていたものの見えないところ。
……見てみたい! 知らないもの、見たことないもの。
ああ、わたし、見てみたい!」
胸を押さえ、その場でくるくると回る彼女。
今までこんな子はいただろうか。彼は思い返す。
ただ毎日毎日を過ごす中、雲の色のように陰鬱な人々の群れ。
「君となら、ぼくも、見てみたい」
彼がふともらすと、
「ほんと!?」
女の子は彼の両手をとった。
「うん、見よう? 一緒に見よう!」
咲く花のような笑みをこぼしながらすこし駆け出し、
両手を広げながら回る。
その姿は輝くように、とてもきれいで。
すこし、空みたいだな、と。彼は思った。