勉強は嫌い。でも、先生は好き。
だからどうせなら両方とも好きになれたらいいなと、
先生のうちに押しかけて
勉強を教えてもらうようになった……けど。
ただ勉強するのはやっぱり退屈。
「ねー、せんせー、見て〜」
わたしはボールペンのおしりを持って、ゆらゆらとゆすった。
「うん?」
資料かなにかを作っていた先生が顔をあげてわたしを見る。
「ほら、ボールペン曲がったよ〜」
あきれた顔で笑うかと思ったら、いつもの顔で、
「ほんとに曲がってるんだよ」
逆にわたしが噴き出した。
「そんなわけないよ、ほら」
止めてテーブルの上に置くと、
やっぱりどこにゆがみもないまっすぐなボールペン。
「それは偏見だね」
「え?」
「ボールペンはある一定の場所を持ち、
ある一定の運動をさせると、
ボールペン自体が歪むという性質を持つんだ」
「うっそだあ〜。まっすぐな定規と一緒にやっても
絶対曲がって見えるよ」
すると先生は言った。
「定規も歪んだんだ」
「あはははは」
わたしは大笑い。
「先生、すぐ変なこと言うんだもん」
「なんだ、変なことじゃないぞ」
先生はくしゃくしゃとわたしの髪を乱し、
「この世界には移ろわない本質なんてない。
世界を作るのはその人の思い込みだけ。
とすると、『その人』にとって『そう見える現象』が
事実ではないと、だれが言えると思う?」
「えーと? ……たまに先生、難しいこと言うよね」
言うと、先生はすこし眉を寄せて、優しく笑った。
別の日。重い気持ちで先生に会いに行く。
「あれ、どうしたの? 今日は元気なさそうだね」
ドアを開けた先生が言い、わたしは空笑いをしてみせる。
「ちょっと、くわがた、死んじゃって」
するとさびしげな目をして、
「ただの、くわがただった?」
くわがた、くわがた。わたしのくわがた。
「違う……」
あの子の姿を思い出しただけで
いきなり胸から熱いものがあがってきて、
目からぼろぼろとこぼれ出した。
「小学校のころから一緒だった。すごく大事だったのに……!」
「そっか」
やわらかく頭を撫でる手。背中をぽんぽんと叩かれたら、
なんだかなんにも考えられなくなって、
声を出して泣いてしまった。
よくわからないだけ泣くと、なぜだか、ちょっと……
「おなかすいた」
先生は くすっと笑って髪をぐしゃぐしゃと乱した。
それから、先生が簡単に作ったごはんを二人で食べる。
なんだかちょっと気まずくて顔をあわせられないでいると、
「それにしても……」
先生が言う。
「そんなに愛されて、くわがたはきっと幸せだね」
くわがた。聞くだけでぼろっとこぼれる涙。
「大好きだった?」
「うん」
「そう」
やわらかくそれだけ言って、その後は何も言わなかったから。
わたしは顔をあげて、つい、訊いた。
「泣いて、いいの?」
「うん?」
いつもの笑顔。
「だって、みんな、どうせくわがただって。
ただくわがたが死んだだけだって」
「他人の常識と比べて、
悲しさの絶対値を押し付けられても困るだけ。
この世界に本当の基準なんてないんだよ。
その人がとても悲しいと思うのなら、
他人にそれをどうこう言われる必要はない。
だって、それは比べようもないその人の世界の真実なんだから」
「あ……」
ふと、理解した気がした。
「それって、わたしの定規が歪んだってこと?」
「まあ、そうだね。
それぞれ自分なりに歪んだ定規しか持ってないし、
それはそれでいいってことだ」
先生に頭を撫でられるのがとても気持ちよくて。
また泣いてしまいながら、わたしは初めてあの子の死を
ちゃんと受け入れられるような気がした。