たまに行く場所で飛び降り自殺があり、
下にいた人が巻き込まれてひどいけがをするという事件があった。
「ひどいよなあ、あれ」
「死ぬんなら睡眠薬でも飲むなりして、一人で死ねよな」
電車で前の二人が話す言葉。
たしかにうなづくところもある
。人を巻き込むなと言うのは正論だろう。
でも、違うのだ。この二人は自殺しようとしたことなんて
きっとない。自分で死ぬのがどれほど大変なのか知らない。
睡眠薬の二三粒でも飲めば、眠るように死んでいく、
そんな風にでも思っているのだろう。
けれど、そんなわけがない。
それほど利くものは市販なんてされない。
しかたなく風邪薬をむさぼったものの、急に、そして大量に
摂取したせいで寝てる間に戻してしまったのも懐かしい話だ。
――ふう、とため息。
生きる権利、というものがあるらしい。
でも、一体なんなんだ?
有無も言わさず生まれさせられる存在。
法律で見たって取消し得るようなことじゃないか。
それを、一度生まれさせられたら自然に死ぬまで生きろなどと。
生の絶対的な支配下にあって、死ぬ事ができずに
ただ生きつづけさせられるとするなら、それは生きる権利ではなく、
生きる義務じゃないのか? 権利の主体どころか、
ただの義務の奴隷だ。
人を支配つづけてきた乱暴な生。
それに人間が逆らう事ができるとしたら、自ら死ぬことだけ。
だからこそ、自殺は人間としての権利を主張する崇高な行為だし、
生への抵抗力、人間としての誇りをもって、
死ぬ権利はあるべきじゃないか。
生きる権利を謳うなら、死ぬ権利も当然として認めてくれ!
叫び出したくなる胸を押さえ、今日も会社の扉を開ける。