0662
2006-07-14
トモダチ
 都会から田舎の学校に引っ越したわたしは、
教室でもどこか浮いた存在だった。
何かを喋れば口調をまねてからかわれ、
聞くのも不愉快な声でばかにされ。
そんなわたしの友達は本だけだった。

 ある日、お昼休みに教室にいるわたしのそばに先生が来て、
「いっつも一人きりだな。友達を作ったらどうだ?」
 さもいいことを言ったという顔でいけしゃあしゃあとぬかした。
「先生、友達と言って、すぐ顔の浮かぶ友達っています?」
「ああ、いるよ。いいもんだぞ、友達は」
「なら、その人とはいつから友達ですか?」
 すると考えるしぐさをして、
「いつからって……中学一年ごろから、だな」
「それですよ」
 わたしは言う。
「『ごろ』ってつくでしょう? 友達になるのにはお互い、
『ともだち』なんて言葉は使いません。
なんとなく、なんとなくのうちに親しくなっていって、
他人から『ともだちなの?』って訊かれてはじめて
『あっ、そういう定義もできるんだ』って
気づくようなものじゃないですか」
「そうか? おれはあいつとすぐ友達になったけどな」
「そうですか? おちついて聞いてください。
それは、はじめから友達としてつきあおうとして
友達としてつきあったということですか?」
「え? はじめは……違う、かな」
「でしょう? 作ろうと思ってできる友達なんて、たかり屋の、
『友だちなんだからお金貸してよ〜』くらいのものです。
はじめは『知人』くらいのが『親しい知り合い』になって、
それが気が合えば『ともだち』になるもので、
友達はむしろ恣意的よりも自然発生的。
それよりも言うなれば、対人関係における人と人との間の力場を
『ともだち』と呼ぶのであって、
それが発生するかしないかは運次第。
作ろうと思って作れるもんじゃないんです。気が合うか
合わないかなんて人間のちからの及ぶところじゃないと
わたしは思いますけど」
 わたしが口を閉じると先生はいやな目でわたしを見て、言った。
「そうやって偏屈やってるから友達ができないんだ、おまえは」