都会から田舎の学校に引っ越したわたしは、
教室でもどこか浮いた存在だった。
何かを喋れば口調をまねてからかわれ、
聞くのも不愉快な声でばかにされ。
そんなわたしの友達は本だけだった。
ある日、お昼休みに教室にいるわたしのそばに先生が来て、
「いっつも一人きりだな。友達を作ったらどうだ?」
さもいいことを言ったという顔でいけしゃあしゃあとぬかした。
「先生、友達と言って、すぐ顔の浮かぶ友達っています?」
「ああ、いるよ。いいもんだぞ、友達は」
「なら、その人とはいつから友達ですか?」
すると考えるしぐさをして、
「いつからって……中学一年ごろから、だな」
「それですよ」
わたしは言う。
「『ごろ』ってつくでしょう? 友達になるのにはお互い、
『ともだち』なんて言葉は使いません。
なんとなく、なんとなくのうちに親しくなっていって、
他人から『ともだちなの?』って訊かれてはじめて
『あっ、そういう定義もできるんだ』って
気づくようなものじゃないですか」
「そうか? おれはあいつとすぐ友達になったけどな」
「そうですか? おちついて聞いてください。
それは、はじめから友達としてつきあおうとして
友達としてつきあったということですか?」
「え? はじめは……違う、かな」
「でしょう? 作ろうと思ってできる友達なんて、たかり屋の、
『友だちなんだからお金貸してよ〜』くらいのものです。
はじめは『知人』くらいのが『親しい知り合い』になって、
それが気が合えば『ともだち』になるもので、
友達はむしろ恣意的よりも自然発生的。
それよりも言うなれば、対人関係における人と人との間の力場を
『ともだち』と呼ぶのであって、
それが発生するかしないかは運次第。
作ろうと思って作れるもんじゃないんです。気が合うか
合わないかなんて人間のちからの及ぶところじゃないと
わたしは思いますけど」
わたしが口を閉じると先生はいやな目でわたしを見て、言った。
「そうやって偏屈やってるから友達ができないんだ、おまえは」