0672
2006-07-19
七つの愛
「どったの?」
 わたしの部屋、にこにこと友達が訊いた。
 その顔を見ながら思い出すこと。
『ねえ、知ってる?』
 別の友達との電話で。
『あの子……不倫してるらしいよ』
『ええ? まさかぁ』
 最近どこか雰囲気がおかしくなったのは知っていた。
でも、そんなわけがないと思いたかった。
 見た目は変わらないのに、不倫なんかしてると思うと、
その唇もその髪もその手も、なにかとてつもなく
汚らわしく思えてしまう。
「ねえ……不倫してるんだって?」
 ぴくっと眉を動かし、すこし目を伏せて。
「うん、ま、ね」
「なんで?」
「しょうがないじゃない。好きになっちゃったんだから」
「それが、不倫? 子持ちで既婚で浮気性?」
 するとどこか冷めた目をして、
「あんたにはわからないよ」

 瞬間、全意識を集中した右手が彼女の頬をとらえた。
「いったぁ〜」
 乱れる髪に、頬を抑えて。
「なにすんのよ!」
 飛んでくる右手を左手で叩き落し、
わたしはもう一発を頬に入れた。
「わかんないよ、そんな『好き』なんて。
結婚もして奥さんもいるのに、他に女作ろうとする外道の
何に惹かれるかわからない!」
「うるさい!」
 つかみかかろうと延ばす両手に手を打ちおろし、
無防備になった体に頭突きを入れる。
「好きになるってそんなもんなんだから! 
どうやったって止められないよ」
 鼻を押さえて叫ぶ相手に。
「ばか! このマニア! あんたの好きは好きじゃない。
自分だけの狂った一方通行だ!」
「うそ! あの人だってわたしが好きだって言ってる」
「あんたはルーダスのはけ口。都合のいい、
動く高給ダッチワイフだ」
「この……っ!」
 鋭く振り下ろされる手にひじをあて、
自分のこぶしをこめかみに叩き込む。

「違うって言える? 不倫男がやることなんてみんな同じ。
セックス、セックス、セックス! 濃密なセックス、
むさぼるようにセックス、欲望のままにセックス! 
それしかないじゃない。相手の幸せを思うようなアガペーなんて
どこにもないのがわからないの!」
「うそ! わたしはあの人のしあわせを思ってる!」
「何が愛だ!」
 指先がしびれるほどの平手。彼女の頭がちぎれるように振れた。
「相手が自分で性欲を発散して幸せになるのだけを祈ってる? 
あんたがいるせいで相手も不貞を働いて、
それが相手の家族も傷つけるってわかんないの? 
このエロスの奴隷! 自分たちだけよければ
他を捨てて構わない? ふざけるな!」
 わたしの髪を狙ってくる手をとり、
力いっぱい握りつぶして下にぶん投げる。
「そのおやじもおやじだ。
肉欲に負けてストルゲーも捨てるなんて。
あんたもあんたでわかんないの? 
あんたのその態度が肉親への愛をどれだけ裏切っているのか」
「そんなのどうでもいい! だって、好きなんだよ。愛してる!」
「言うな、ダッチワイフ! あんたがプラグマで、
相手の好意を利用しようとしてるならまだいい。
でも今のままじゃ……あんまり惨めじゃない」
 あきらめたのか、彼女は床に手をつき、涙をこぼした。
「なんで……なんでそんなこと言うのよぅ。
あたしがなにしたの……」
 わたしはその頭を抱きしめ、最後の言葉を口にする。
「なんでわたしがここまで言うのか、友達としての愛情も、
わたしたちのフィリアもわからないなら、それでいい。
もうあんたには何も言わない」

            *

「……で、どうなったの、その友達」
 思い出話に、年頃の孫娘が訊ねた。
「なんだかんだあってね、結局あの子がわたしの一番の友達」
「へえ〜」
 嬉しそうに、柔らかな笑みに目を細める娘にわたしは継いだ。
「ってなってたら、いい話で終わったのにね」