0694
2006-07-26
好き。好きだから好き
「じゃあ、そっちは誰が好きなの?」
「え? わたしは……」
「あいつでしょ」
「うん」
「わあ〜!」
 夕日のさしこむ委員会室。
会議が終わってみんなで話していると、
「ほらほら、あんまり残ってないで明るいうちに帰りなね」
 扉を開けて、先生の声。
「はーい」
 そこでおひらき。帰る友達とは反対方向、
わたしは部屋の鍵を返す友達と一緒に職員室に向かった。
「ね、ほんとに好きな人、いないの?」
 他に誰もいない廊下。そっと訊ねると、わたしの目を見、
それからためらうように小さく視線を動かして。
「わたし……男子は嫌い」
 と、ぽそっと。
「え、じゃあ、あれ? もしかして女の子好きな人?」
 固まる目。ぎこちなくそれると、
「うん……」
 うなづきに、夕日を映す黒い髪がゆれる。
 へえぇ。確かに誰か男と一緒にいるところなんて
想像もできないし、いたところでちょっと悔しい気もするけど。
ほんとにそういう人っているんだ。
「でも、わたしはやめてよね」
 言うと、友達は小さく、震えるように笑った。

 それから鍵を返し、玄関へ。靴を履き替えるときに、
ふと思い出すこと。
「あ、いけない。靴忘れちゃった」
「くつ?」
「部活の。今日届いたのに……。
取ってくるから、すこし待ってて」
 友達をその場に残して駆け出した。
 階段をのぼってのぼって、廊下を走り。
ちょっと息を切らしながら手をかける扉の向こうからは
男子の笑い声。
「ほんとにでけぇよな」
「あんなの見せられたらたまんねえっての」
 手を離し、壁に潜む。中からは聞き覚えのある彼の声も。
 なんとなく息を殺し、盗み聞き。どうやら女子を話題にして
その手の話で盛り上がっているらしいけど。
そんな話ばっかりだと、入っていくきっかけが
つかめなくて困るなあ。
「そう言えば」
 わかる声。
「あいつさぁ、いっつもこっち見てねえ?」
 ばか。あんたじゃなくて、後ろだ、うしろ。
「もしかしたらおれらの誰かに惚れてたりしてな」
 ぎくり、と体がこわばる瞬間。
「おれだけはやめてくれよ」
 あの、彼のことば。

 怖くて恥ずかしくて、震える足でその場から離れると、
わたしは走った。
 ……ただ好きでいただけなのに、
それがそんなにいけないこと?
 好きでいることも許されないくらい、わたしは醜い存在なの?
 唇を噛み締め、なみだがこぼれないように息を吐き。
ただ逃げるように足を動かした。
 玄関に立つ友達。駆け寄ろうとして――凍りつく。
 わたしはさっき、なんて言った? 
あの子に対して、なんてことを言った?
 心配そうな顔でそばに来る。
 ……いつもそうだ。いつだってあの子は困り顔。
誰かの心配をして、人にばっかり気を使って。
わたしにだってこんなによくしてくれるのに。
「どうしたの?」
 あたたかな声。
 あやまろうと思ったのに、出たのは声でなく、涙。
「なあに? どうしたの、どうしたの?」
 低い背を伸ばし、わたしの頭を抱きしめて。

「ご、ごめんなさい……。傷つけるつもりじゃなかった。
そんなつもりじゃ……」
「ううん。ごめんね。それでもわたしは好きだから。
ただ好きだから、とめられない」
 心を揺らす柔らかな声に、心臓をねじられるような痛み。
 こんなわたしを好きでいてくれる人がいる。
 あんなにもひどいことを言ったわたしを。
「あやまらないで……」
 あやまるのはわたしだけだ。どんな罰を受けても足りない。
 わたしは深い悔恨と懺悔の気持ちを込めて、しぼりだした。
「そしてどうか、わたしを好きでいて……ください」