0806
2006-08-29
ツンデレラ
『ど、どうしよう、どうしよう……』
 魔法使いが魔法で作ってくれた馬車を降り、
魔法のお供を従えて歩きながら、
女の子の頭の中はぐるぐると回り出します。
 お城へ続く階段を登る彼女、
言葉を失い彼女を見つめる人々の視線。
女の子は泣きそうになりました。
『みんなが黙ってわたしを見てる。やっぱり何か違うんだ。
わたしはきっと変なんだ……』
 ひとり大広間に入ると、周りの人のささやきが聞こえます。
 自分の周りから人が離れ、ひそひそと何かを話しながら
自分を見ているのがわかるのです。
『どうしてわたしだけ? わたしがなにかしたの?』
 まるで家の中のように、ひとりつまはじきにされる自分に、
涙をこらえながら壁に立っていました。

 楽しげに流れる音楽に笑い合い、踊りあう人たち。
きれいな、そして優雅な服で満たされる広い部屋。
 会う人会う人みんなで笑ってごあいさつ。
一緒に楽しくダンスして。そんな場所だと思っていたのに。
 周りの晴れやかさとは裏腹に、彼女の心は曇ってゆきます。
『こなければよかった。こんなとこ、来なければよかった……』
 自分とはすべてが身分違い。こんな豪華な場所にいる自分が
とてつもなく惨めに思えていました。
「やあ、お嬢さん、こんばんは」
 遠巻きに眺める人たちの中から現れたのは、
それほど着飾ってもいないけれど、顔立ちのよい男性。
「な、なによ」
 冷やかしに来た……! 
彼女は声と一緒に涙をこぼさないように、
精一杯眉間に力を入れました。
「こんなところに、そんな顔は似合いませんよ。
せっかくのかわいい顔が台無しだ」
 男の人からそんな言葉をかけられるのははじめて。
彼女は頭まで真っ赤になってしまいそうになりながら
声を上げました。
「し、失敬な! 用がないなら下がりなさい」
「これは失礼」
 すこしおどけて、それでも優雅に頭を下げると、彼は言います。
「あなたに笑顔の魔法を持ってきました」
 魔法! 彼女は体を硬くします。
『知ってる? わたしが魔法で
ようやくここにいられることを知ってる?』
 背中に汗が流れ出すのを感じながら、
女の子は注意深く男性を見ました。
 上品に見える顔立ち。意地悪な継母とは違う優雅さ。
とても人の弱みをあげつらう人には見えません。

 すると彼は手を差し出して、
「ぼくと、踊っていただけませんか?」
 踊れない……。こんな中じゃ踊れない。
わたしなんかと踊ったら、この人までつまはじきにされてしまう。
 そこで、彼女は言いました。
「だれがあなたと。わたしなどよりも、
お似合いの方がいらっしゃるんじゃなくて?」
 精一杯の嫌味。でも彼は、笑顔を浮かべ、
「これは手痛い。ぼくではあなたには足りませんか?」
 ずきんと胸が痛みます。
「そんな……こと」
「では、ぜひ」
 さらに差し出される手。断りきることはできずに
彼女は手を伸ばしました。
 手袋越しに重なる手と手。恥ずかしさに
振り切りたくなる気持ちをこらえ、彼女は声を上げました。
「け、けれど、勘違いなさらないでくださいね。
あなたがどうしてもとおっしゃるから、
踊って差し上げるだけです」
「ええ、光栄です」
 二人は歩み出し、踊り始めます。
 はじめこそ自分たちを見つめる目を気にしていましたが、
踊るのが大好きな女の子。夢中で踊るようになっていました。
「ああ、きれいだ」
 突然の男の人の声に、女の子は何を言われたか
わかりませんでした。
「あなたみたいに楽しそうに踊る人を見るのははじめてですよ」
「ごめんなさい」
 彼女は本当の笑顔を見せて、そっと言いました。
「誘ってくれてありがとう。こういうところって初めてで、
どうしていいのかわからなくって」
 すると笑顔を返し、
「ぼくもあやまらなければいけませんね。
てっきりダンスがお得意でないと思ったのに、なんともお上手だ」
 二人ちいさく笑いながら回っていると、
彼女は周りの人にぶつかって転んでしまいました。
彼女に手を差し出す男性、その後ろから、周りから、目、目、目。

 女の子は一気に夢から覚めたようにぎこちなく立ち上がると
一礼してまた踊り出しました。
「どうしたんです?」
 男の人が訊きます。
「わたしといると、あなたにも迷惑がかかります」
 彼女は悲しそうに答えました。
「迷惑?」
「顔を動かさないで」
 彼女は言いながら、男性の耳に顔を寄せます。
「見て。周りの人たち。汚いものから逃げるみたいに
わたしから離れながら、それでもじっと見ています」
 泣きそうになる彼女の耳に聞こえたのは、笑い声。
「ははは、何を言っているんです」
 彼女は呆然と男の人の顔を見ました。
「ぼくたちもみんな、近づきがたいあなたの美しさに
見とれていたんですよ」
 頭まで急に熱くなり、男性を突き飛ばして逃げたくなる彼女。
 でもこらえながら踊りきると、会釈も軽く駆け出しました。

 人気のない、夜風のあたるベランダで彼女はじっと手を見ます。
 さっきまで男性とつないでいた手。見つめられた顔。
そこだけ暖炉にあたっていたように、
不自然なほど熱をもっていました。
「どうしました?」
 突然の声。あの人の声。顔を背け、彼女は叫びます。
「なっ、なにしに来たの? また冷やかしに?」
「冷やかし? ……ああ」
 くすりと笑う音。
「冷やかしではありませんよ。あなたはほんとうにきれいだ」
 手すりの先に逃げる場所もなく、
彼女はここから飛んでいけたらと願いました。
「なんの用ですか」
「先ほど、足をひねられたのでしょう? 
申し訳ない、きづかなくて……。
手当てのものを、連れてきました」
 ぎくりと身をこわばらせる彼女。
「か、構いません。気になさらないでください」
 ですが、男の人は背中を向けると言いました。
「構いたいのですよ。それであなたの気を引けるなら
なんだってします。それが男というものです」
 手当ての者に促された彼女は差し出されたいすに腰掛け、
「では、お願いできますか?」
 気が引けるように足を出します。
「いたっ……」
 手が触れるだけで痛む足首。
「申しわけありません」
 謝るメイドに首を振ると、男性の声。
「痛みますか? がまんをせずに戻ってもよかったのですよ」
「でも、あそこで戻っては、あなたに怒ったように
見えてしまうでしょう?」
「……ぼくのために?」
 驚きを含んだ声に、はっとして彼女は声を荒げます。
「ちっ、違います。勘違いしないで! 母のためです」
「お母上? きっとすてきな方なのでしょうね」
 彼女はあたたかくおかあさんのことを思い出します。
「ええ。母はいつでもほほえんでいました。
きれいで、やさしくて……。踊りの得意な人でした」
 そこへ、手当てが終わった声。
「どうもありがとう。楽になりました」
 メイドは彼女に頭を下げ、男性に頭を下げると言います。
「それでは失礼します、王子様」
 その瞬間に空気が変わり、
メイドは逃げるように走っていきました。

「王子様……?」
 きっ、と女の子は男性をにらみ、
「そんなかっこうで話しかけて、恥を知りなさい!」
 立ち上がると、片足を引きずるように歩き出します。
「待って。なぜ怒るのですか」
 腕を掴まれると、
「離して!」
 激しく振り切って歩き出します。
「たしかにぼくは身分を隠していた。
でも、それはしかたなかったんだよ。
ぼくが王子と知らない、普通の姿を見たかったんだ」
 後ろについて、男の人は必死に彼女を止めようとしました。
「それでわたし? わたしはどうでした? 
優しい言葉に浮かれて、はしゃいで。
王子様がわたしなんかに目を留めるわけもないのに、ばかみたい」
「なぜ? きみはすてきだ。こんなにもきれいな人じゃないか」
 彼女は立ち止まると両手から手袋を外し、彼に突き出しました。
「見て! わたしの手、こんなにぼろぼろ。
うわべだけ飾ってたって、こんなの本当のわたしじゃない。
家では小間使いのように働いて、寝るところも馬小屋。
わたしはこんなところにいていいような人間じゃない!」
 自分の身を恥じ、涙を流して叫びました。
「そんなことはない。いていい、悪いなどだれが決めるのです」
「なら、わたしが家でなんと呼ばれているか
教えて差し上げましょう」
 こぼれる雫をぬぐうことなく、この裕福な男性を見据えると
彼女は言います。
「……『灰かぶり』! 常に灰にまみれ、掃除や雑用。
それがわたしの今の名なのです」
 見られないように顔を隠し、彼女は走ります。
 外への階段に差し掛かったとき……
「あぶないっ!」
 ずきん。
 痛みが足を止め、彼女は階段を転げ落ちていきました。

 次に気付いたとき、彼女は、自分がなにか
柔らかなものの上にいるのがわかりました。
「ああ、気がつきましたね」
 王子と呼ばれた彼の声。
「今、何時です……か?」
 ひどく痛む腕をさすりながら訊ねるものの、
彼女の手は触りなれたものを感じていました。
「一時半です」
 ああ、わたしの魔法は解けてしまった……。
 ぼろぼろの服を身にまといながら
豪華なベッドの上に横たわる彼女は、
自分の姿を思って涙をこぼします。
「痛みますか?」
 声も出せずに首をふりました。
 痛むのは体じゃない、きっと、こころ。
「こんなところ……あなたには、見られたくなかった」
 消えるような泣き声でつぶやく彼女。
「どうして。確かに服が突然変わったときは驚いたけれど……
なにを着ていても、あなたは、あなただ」
 彼女の視界に、王子らしい立派な服に身を包んだ男性が
顔を出します。
「それに、わかってほしい。
こんなものを着ていようと着ていまいと、ぼくは、ぼくなのだと」
 涙を拭う手。
「たとえぼろを着ていても、あなたはやさしいひとだ。
そして、気高く高貴なひとだ。魂までやつしてはいけない。
……はじめに見たあなたはどこへ行ってしまったんですか?」
「ふふ」
 彼女は小さく笑うと、頬に添えられた手に手を重ねました。
「ならば、わたしの名前を教えましょう。
母からもらった大切な名」
 目と目が重なります。彼女の唇から、
凛とした響きがこぼれました。
「わたしは……」