0951
2006-10-10
性○説
「昔、神と悪魔の激しい戦いがあった」
 じいさんは小さかったおれに語った。
「激しいせめぎあいの中、もっとも力を持つ神と
もっとも力を持つ悪魔は互いに命を落とし、その霊は何兆、
何京、何垓と数えるほどもなく砕けてしまったんだ。
 それで困ったのはお互いの軍勢。魂を集めて
復活させたいのだが、相手の魂が混ざっていてはたまらない。
そこで神と悪魔は新しい世界をつくり、魂を選別することにした。
 人の世という劇の舞台に置いた肉に魂を乗せてやれば、
神の魂のかけらを持つ者は良い行いをし、
悪魔の魂のかけらを持つ者は悪い行いをする。
 そうして見極めがつくと、天使も悪魔も
それぞれ魂を手元に寄せてしまう。
人が早くして死ぬのはそういうわけさ」
「じゃあ、おかあさんは?」
「おまえのおかあさんは昔からどこか違った。
きっとこの世で魂が汚れないように、
天使たちが急いで連れて行ったんだろうなあ」

 おれを見る目を細めると、
「それは確かに悲しいことだ。
でも、別れなきゃいけなかったおかあさんはもっと悲しいんだ。
だから後ろ髪を引かれて心配する事が無いように、
悲しんだ後はにっこり笑って、
おまえも正しい行いをしなきゃならん」
 そう言って骨に皮を張ったような大きな手でおれの頭を撫でた。

「おじいちゃんはどうして生きてるの?」
「ははは、そうだな。とりたてて悪いこともしなかったし、
いいこともしなかった。きっと天使も悪魔も
なかなか見極めがつかないんだろうなあ」
「ふぅん……」
 じゃあ、良くも悪くもなく生きたほうがいい。
 そうおれが思ったのはもう百何十年前になるだろうか。
                             」
 おれが言うと、
「ははははは」
 見上げるばかりの男と女が楽しそうに笑う。
「どこで思いついたの、そんな話」
 女はおれのわきの下に手をいれ、持ち上げると抱きしめた。
「おかあさんのおなかの中で訊いたのか?」
 男は自分のこどもを見るような笑いでおれの頭に手を乗せる。
「すまないが」
 とおれは言った。
「たぶん本当のことなんだ。すべて思い出して、
さっき地図も調べた。ここからすこし西に行ったところに、
きっと本当のかあさんの墓がある」
 笑いの残る顔が引きつる。
「うそ……。うそ、だよ、ね?」
「すまん。まさかおれも、一生で判別できない魂が
引継ぎされるとは思わなかった」