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2006-11-04
彼女の瞳に映るもの
 長かった教育実習がようやく終わった。
 実習は毎日苦痛の連続。
 実習先はたいてい有名どころの学校や、
母校の卒業生から率先して受け入れるせいで、
三流大学のおれにようやく回ってきたのは
家から片道2時間以上かかる場所。
 しかも朝は部活の指導のせいで
4時に起きて5時には電車にのり、
帰りは最後まで残って帰らないといけないから、
家に着くのは9時。そこから提出する記録に出来事をまとめ、
反省を書くだけで11時。次の授業のために
指導案に手を入れれば0時1時はあたりまえ。
 布団に入ればすぐ起きる時間で、
朝と言えない闇の中で仕度を始める。
 学校は学校で授業もめちゃくちゃ。
どんなに用意していても、たった一人の生徒の悪ふざけで
授業がまったくすすまないこともあれば、
生徒全体との常識の差でうちのめされることもしばしばあった。
 これがおれの望んだものだったのか? これが教師だったのか。
もう無理だ。どうでもいいからやめてしまおう。
 冗談じゃなく、家に戻ってただ泣きながら思うこともあった。
授業中にさえ泣いて逃げ出したくなることもあった。
 それでも自分で反吐が出るような薄笑いを浮かべて
なんとか耐え続けた、それはそれは長い時間だった。

「せーんせっ」
 ふと呼ばれて振り返ると、
教室のドアから覗き込むクラスの女の子。
「職員室に行ってもいないんだもん」
 にこにことした笑顔でそばに来ると、
「なにやってたの?」
 見上げるように訊いた。
「いや、別に。ここももう見納めだなと思って」
「そういえば終わりの会ですごく泣いてたよね」
 すこしだけからかうように言って笑う。
「いつもにこにこしてたからびっくりした」
 そう言われておれのほうがびっくりした。
「にこにこ?」
 おれが?
「うん」
 悲しくても不愉快でも顔に出すわけにも行かず、
ただ引きつる笑みしかできなかったおれが?
 もしそんな笑顔がおれにあったとしたら、それは……
「それは、きっと君がにこにこしてたからだよ」
 この子におれはどう見えていたんだろう。
これでもすこしはいい先生として、
いい人間としてふるまえたなら、多少は救われる気がした。
「先生」
「うん?」
「それ、ちょうだい?」
 指差すのは胸の名札。
 取って渡すと元気な笑顔を見せて、
「先生いなくなるって泣いてた子にあげるね」
 くるりと背を向けてドアへと向かった。
 そんな子がいたなら、言ってくれれば
おれだってがんばれたのに。
直接その子が来てくれたほうが嬉しかったな。
「あ、そだ」
 廊下で振り向くと、にこっと笑顔で訊ねた。
「先生って、結局なんの先生だったの?」