娘が車に跳ねられたと妻からの電話。
仕事もかばんもほっぽり出して病院に着くと、
まだ手術中とのことだった。
見上げる手術中の文字。中で何が行われているかもわからず、
そこにいる意味もないのにただ待っているだけしかできない。
――ああ、神様!
祈る。祈ることしかできないんだ。
――わたしは今までいいことばかり
してきたわけではありません。ですが、人を傷つけるような
悪いことはしなかったつもりです。
なのに、なぜ娘がこんな目に会うのですか。
娘を、他人に傷つけられて失う事がないように、
どうぞお力をお貸しください――。
「どうか、どうか……! わたしのすべてを差し上げます。
命も、なにを失っても構いませんから……!」
この際神も悪魔もあるものか。
助けてくれるならなんだっていい。この身を捨てて構わない。
心で叫んだ瞬間、体の周りがぞくりと冷える。
『なら、おまえが心の底から大事に思うものを一つもらおう。
代わりに娘の命は助けてやる。それでいいな?』
耳の後ろあたりで声がした。
清らではない物の言葉。でも、それでも良かった。
「もちろんです。ですから、どうか!」
すがるように声を出すと、ふっとあたりの空気が穏やかになる。
そして、すぐに手術中のランプが消えた。
結果は、わかっていた。
「お嬢さん、助かりましたよ!」
中から出てきた女性の明るい声。
おれは妻と向き合い、手を握る。
と、とまどった顔がおれに。
「あなた……よね?」
「なんだ、あたりまえだろ?」
もしかしたら、あの悪魔。おれの存在自体を
奪って行ったのか? もしくは、世界からおれの記憶が
消えるんだろうか。
でも、それでもいい。妻と娘が幸せに生きてくれれば、
それでいいんだ。
「今のうちに言っておくよ。おれは君と一緒になれて、
すごく幸せだった。おれがいなくなっても、
あの子と幸せに暮らして行って欲しい」
ほっとしたような、すべてをなしとげたような充足感。
すこしのさみしさも感じないわけではないけれど、
娘が死ぬことに比べたらそんなのなんでもないさ。
けれど、妻は。
「やだ、なに言ってるの」
嬉し涙を拭きながら小さく笑って、
「それより、どうしたの? その顔……。ちょっと男前じゃない」
「男前?」
鏡を出してみてみると、なにやら見慣れたものが足りない。
生まれてからの三十七年間、苦楽を共にしてきたあいつ。
鼻の横で黒く誇らしげに咲き誇り、
一本だけ黒々とした毛を伸ばし続けたあの……
「ほくろ子ぉおおおおお!」