真夜中の台所。
彼がいつものように流し場で
残飯をあさっているとき。
暗闇が稲妻のように瞬いたと思うと、
急に明るくなった。
瞬間、視線――。
彼は自分を見つめる人の顔に気付く。
彼はその姿をまじまじと見つめた。
まっすぐに自分を射抜くような女の瞳。
気付けばすぐ上でハエたたきが自分を狙っていた。
「ちいっ! ワナか!」
彼――ゴキブリはすばやくあたりを見回す。
周りは流しの壁。隠れられるような場所はない。
迂闊に動けばその途端、
あの物騒なものによって叩き潰されてしまうだろう。
逃げ場はないと悟った彼は、慎重に話しかける。
「やあ、お嬢さん。
……このたびはこのような結果になり、
大変遺憾に思います」
「まえ、なんて言ったか覚えてる?」
彼女は怖いくらい優しい声で訊いた。
「……なんでしたっけ?」
「たしか、何も知らないし、
自分は何もやってないって言ってたよね」
「そう、でした?」
彼は目をそらしながら言う。
「そのとき、わたし言ったよね?」
彼女は じっと見つめて、
「外でいくらあさってもいいから、
家の中でだけはやめてって」
「非常に遺憾に思います」
「……キミ、ほんとに反省してる?」
汚いものを見る目で訊ねた。
「もちろんですとも」
彼は答える。
「今度は見つからないようにやってよね」
「心得ております」
その言葉に彼女は唇の端で笑った。
「……う!」
あわてるゴキブリ。
「やっぱり、なんの反省もしてなかったんだ。
自分だけ見つかって、運が悪かったよねえ?
どうして自分だけ、なんて思ってるんでしょ?」
「そ、そんなことはございません。
これからは前向きに善処いたしますから」
「『こんどはばれないようにやりますから』?
こりないねえ、キミも」
ハエたたきが動くのを見て、彼は頭をこすりつけた。
「どうか見逃してください。
これからは誠心誠意努力し、
失った信頼の回復に努めますから」
その言葉を聞いて、彼女は手にしたものを
即座に振り下ろした。
ぎちっと固い音を残して彼はつぶれる。
蔑んだ目を彼に向けて彼女はつぶやいた。
「……失うだけの信頼なんて、いったいどこにあったのよ」