0018
2003-08-02
思い上がり
 レミングの一団が木々の間を駆けていた。
何万という群れの先頭には一匹の先導者。
彼に導かれるように他の者達が続いている。
はるかな草原を越え、荒野を越え、森を越え。
故郷からどれくらい離れたろうか。

 そしていつしか森から出た彼らの目の前には
はるか続く水面が広がっていた。

「さあ、ここを渡ろう。
この先にはわれらが求める地があるはずだ」
 ボスが言うと、一匹の若者が歩み出て訊ねた。
「待ってください。それは正しいのですか?」
 その言葉を聞き、ボスは言う。
「もちろんだ。もし間違っていたなら、
そのときはわたしが責任を取ろう」

 そうして自信に満ちて飛び込んだ先導者を追って、
群れは一つの生き物のようなうねりで
水の中に向かい始めた。

 冷たい水。あたたかな毛を浸し、体温を奪う。
浮くために絶えず足を動かすが
休む場所も食べるものも無い。
体力の無いものは
つぎつぎと力尽きて水に沈んでいった。

 それでも彼らは止まらない。
狂ったようにただひたすらに進み続ける。
「ボス!」
 恐怖にかられた若者は
先導者のすぐ後ろについて叫んだ。

「本当にこのまま進んでいいのですか? 
群れの中にはすでに死んでいるものが
数えられないほどいます」
 彼の体には若さがあったが、
それでも迫り来る限界を感じていた。

 ボスは水を掻いて進む足を止める。
その横を通り過ぎて泳いでいく仲間。
「このまま進めば全滅してしまいます。
……今から引き返してもどれだけが生き残れるか……!」
 その言葉にボスはすこし考え、決意した。
「わかった。戻ろう」

 ほっと息を吐き、若者は通り過ぎていった仲間に叫んだ。
「みんな、戻れ!」
 だが、聞くものはいない。
「どうした、戻るんだよ。岸にもどれ!」
 しかし、止まらなかった。
彼は早々に岸へと引き返してゆくボスの背中を見ながら叫ぶ。
「もういいんだっ! みんな! やめろっ!」
 中には気付いて寄ってくる者もいたが、
ほとんどは気付かないように泳いでいく。

「どうして……」
 彼の目から涙がこぼれた。
自分の無力さを噛み締めながら、
岸に向かいつつ叫び続ける。
「やめてくれっ! こんなことに付き合う必要はない!」
 声を限りに叫んだ。
「みんな、もう進まなくっていいんだ!」
 だが、大声を張り上げながら泳ぐ彼の横を
固まりのように仲間が泳いでいった。

 その数はだんだんに減り……
見えるのは先を泳ぐボスたちだけ。
それからさらに泳ぎ続けたころ、ようやく岸にたどり着いた。
 体を冷やす水を振るい落とし、急いで振り返る。

 彼は自分の目を疑った。
水に入る前、視界の端から端まで
絨毯のように広がった仲間がいた。
なのに、いまはこちらに向かって
泳いでくるのは数えるほどだ。

 彼が呆けたように水平線の方に視線を漂わせていると、
「……ごくろうだったな」
 かけられたその声。麻痺していた感情が沸き立つ。
「あな……!」
 振り返りながら叫ぼうとしたが、
かすれた声が空気にこぼれた。
それでも搾り出すように彼は声を出す。
「あなたは……! これを見てどうお思いですか!」
 ボスは苦い表情を浮かべると、
「わたしは途中で引き返した。
だが、それを無視して行った者にも責任がある」
「責任!?」
 彼は叫ぶ。
「あなたが焚きつけておいて、
それを信じて行った者に責任があると?」
「一度動き始めたら、だれをも必要としない。
それが集団というものだよ」
 諭すような言葉。
彼は詰まるのどから声を漏らした。

「それがわかっていて……。
どうして軽はずみな行動をしたんです」
 握り締める拳。寒さではなく体が震える。
「これがあなたのしたことだ。
……何千何万という仲間が死んだ!」
 熱くなる目頭。勝手に涙がこぼれ出した。
「あなたは責任を取ると言った。
仲間の命を、あなたのせいで死んだ仲間の
命の責任をどう取るつもりですか!」
 彼の言葉にボスはまだ湿った頭をうなだれ、言った。
「しかたない……。ボスの座を降りよう」