0019
2003-09-28
殿様商売
「ただいま〜」
 小さなドアの並ぶアパートの廊下。
ささやかなわが家のドアを開けた。

 光がこぼれる玄関。
とてとてと小さな足音が駆け寄ってくる。
「おかえりなさい!」
 一日の仕事の疲れも吹き飛ばすような
笑みを見せるのは、
まだ小学二年生の愛しき姫君だ。
「おかえりなさい」
 すこし遅れて最愛の妻。
「ただいま」
 言うよりも速く、
奪うようにかばんを持って娘がリビングへ駆けていく。
その先にはきっとあたたかな料理が待っているはずだ。

「さて、今日のメニューはなにかな」
 空腹を抱えながら玄関にあがると、
妻は複雑な表情を見せていた。
「なにかあった?」
 軽く笑みが浮かんでいるので
そう大変なことではないと思うけれど。

 すると彼女は困った笑みをこぼして、
「今日、授業参観行ったんだ」
「ああ、そうだったっけ。どうだった? 
われらが姫君は」
「……それがね」
 軽くため息混じりに肩をすくめる。
ぼくはネクタイを緩めながら訊ねた。
「どうしたの? まさか、なんか失敗?」
 妻は笑いながらきゅっと眉を寄せる。
憂いのある表情もぼくのお気に入りだ。

「そういうわけじゃないけど。
終わったあと先生にちょっと声かけられて」
「なんだって?」
「あの子の作文。内容がね、
なんか……いろいろあって、
どういう教育してるのかって訊かれちゃった」
「そんなにすごいの書いたの?」
 ぼくの言葉に彼女は眉を寄せて、
小首をかしげて笑ってみせる。

「すごいっていえばすごいんだけど……
あんまりこどもらしくないって言うか……」
 そしてぼくの目を見つめると、
「とにかく、読んでみてよ」
 ぼくはとりあえずスーツを着替えて、
料理の並ぶテーブルについた。

「どれどれ……」
 受け取った紙を開くと、
それは懐かしい大きなマス目の原稿用紙だった。
 紙に目を落とすぼくを
隣に座った娘が期待した目で見上げている。
「『わたしのゆめ、ぼくのゆめ』……か」
 題名はのびのびとした字で大きく書かれていた。

「お姫様はなにになりたいのかな〜?」
 ぐしゃぐしゃと娘の頭をなでながら、
続きに目を移す。

 『わたしはおおきくなったら、
  ぎんこうになりたいです』

「へえ、銀行員か。すごいなあ」
 くすぐったそうに身をよじる娘は、
顔をあげると舌足らずな愛らしい声で言う。
「違うよ〜、銀行だよ」
「うん?」
 思わず妻を見ると、どこかあきらめた
苦笑いを浮かべてうんうんとうなづく。
 ぼくは手元の紙をしっかりと見た。

  わたしはおおきくなったら、
  ぎんこうになりたいです。
  ひとのおかねでうるおって、
  かしてほしいひとに
  ぺこぺこあたまをさげさせて、
  けっきょくかさずにことわってみたり、
  かしたひとがたいへんなときに
  かしたおかねをはやくかえすように
  いってこまらせたり、
  すごくえらいからです。
  てきとうにやりすぎたせいで
  しっぱいしても
  おかねはくにがだしてくれるので
  あんしんです。

「あはははははは!」
 ぼくは思わず大笑い。
娘もにこにこ笑顔を見せる。

「すっごいなあ。もし銀行になれたら
パパの面倒も見てくれよ」
 頭に手を乗せて言うと、
「うん! 人様のお金を使って、
民間じゃ稼げないくらいの
甘い汁吸わせてあげるね」
 にっこり笑って娘は言った。
 思わず吹き出すぼく。

「どこから仕入れたんだか、
わが姫君も言うもんじゃないか」
「笑いごとじゃないよ、もう」
 すこしむくれて妻が言う。
「……わかってる」
 ぼくは真顔で彼女を見た。
「わかってないのは当事者だけさ」