郊外を一台のタクシーが走っていた。
その先には手をあげる一人の婦人。
車は彼女の前で停止する。
「駅まで行ってちょうだい」
開けたドアから乗り込みながら口にする女。
運転手は婦人の抱えるものに気付いた。
「お客さん、猫……?」
その言葉に彼女は顔をしかめる。
「なあに? あなたも社会的弱者を差別するわけ?
この子はわたしの一部なの。
ねこびとを差別しないように
法律でだって言ってるでしょう?」
法律。猫がいなければ生活ができない者に対し、
どの飲食店でも病院でも
受け入れるように確かに言っている。
「いや、でもですね、お客さん……」
「つべこべ言わずにさっさと行きなさい。
それともなに?
乗せないって言うんなら
あなたの会社に連絡するわよ。
きっと差別者としてクビになるでしょうね」
「……わかりました」
後部座席にどっかと腰を下ろす女。
「ごめんなちゃいねえ〜。
あなたが悪いわけじゃありまちぇんからね〜」
まさに気味が悪くなるほどの
猫なで声で懐の猫ののどをなでる婦人を見ながら、
彼は車を発進させた。
言葉なく、数分。
車内にどこからか隙間風のような音がしはじめる。
「なあに、この音。
どこか壊れてるんじゃないでしょうね」
彼女の言葉に運転手は
首を締め付けるワイシャツの
第一ボタンを外して答えた。
「だいじょうぶですよ。
お客様を危ない目に合わせないように、
朝晩整備してますから」
「そう? ならいいけど……」
こんこんと小さなセキをする彼。
彼女は訊ねる。
「あら、カゼ?」
「いえ、そういうわけではないんですけど」
「しっかりしてよね。病気なのに運転して
事故にでもなったらかなわないわよ」
運転手はすぐには答えなかった。
じっとりとにじむ額の汗を手袋をはめた手でぬぐい、
「……そうですね」
言って力なくセキをする。
ひゅーひゅーと隙間風のような音は
はっきり聞こえるほどになり、
音につれて彼の背中は丸まっていった。
体中から脂汗。目はうつろになってゆく。
「ちょっと。あなた、だいじょうぶなの?」
異変に気付いた彼女が訊いた。
けれど彼は答えずに、
「お客さん、差別と区別の違いってわかりますか?」
雑音の混じった声で訊く。
「え? 突然、なに?」
いぶかしがる女性を
意にも介さないように彼は続けた。
「よく言うでしょ。
りんごと梨なんかは一緒に置かないでって。
あれやるとだめなんですよ。
りんごにあてられて傷みが早くなるんです。
……でもね、りんごと梨を別々にするのは
差別じゃなくて、区別って言うんです。
お互いがそれぞれを生かすように
することなんですよ。わかりますか?」
「ええ、わかるけど?」
彼女の言葉。
「そうですか?
自分が弱いって言ってるけど、
お客さん強いやあ」
彼はのどから喘鳴をもらしながら、
搾り出すように口にした。
「実はこう見えてわたしね、
ひどい猫アレルギーなんですよ」
そして――気絶。
呼吸困難で意識を失った彼を乗せて、
車はアクセルのままに
真の平等の国へと向けて走り出すのだった。