0022
2003-10-11
科学者
 月のきれいな夜のこと。
ある産婦人科でひとりのこどもが生まれた。

 大仕事を終えてベッドに横たわる女性。
そしてその横には嬰児。
そこへようやく面会を許された
彼女の夫が入って来る。

「見て……。わたしたちの、こども」
 彼女は隠し切れない疲れの色を浮かべていたが、
それ以上の喜びに輝いた顔で我が子を見つめた。

「ぼくたちの?」
 彼は訊く。
「このあかんぼうが
ぼくたちのこどもだっていう根拠は?」
 薄くほほえむ彼女に、さらに続けた。

「そのこどもっていうのはどういう意味? 
まだ出生証明書も提出してないし、
戸籍上はぼくのこどもでも
君のこどもでもないはずだよね? 
……これはいったいだれの子なんだ?」
「この子はちゃんとわたしが産んだ子だよ」
「たしかに君はこどもを産んだんだろう。
でも、へその緒でつながってるとこでも
見せてくれなきゃ。
こんな単品だけ見せられて
こどもだって言われても根拠が薄弱だね」

「どうして?」
「君はあかんぼうから
いっときも目を離さずにいた? 
医者たちがタオルで拭いてる間も
その手元を見ていたかい?」
 彼女は首を振る。

「そうだろう? とすると、その間に
別のこどもにすりかえられたかもしれない」
「そんなことしてなんになるの?」
 軽くほほえんだまま彼女は訊いた。

「なんになる? 
そんなことぼくだって知るもんか。
狂った心理学者の実験で、
ある双子を別々の家庭で
生育させる被験者にされてるのかもしれない。
もしくは傲慢な医者の慰みで、
血がつながってない子を我が子として
かわいがる滑稽な道化にさせられてるのかもしれない」

「そんなことしません!」
 同じ部屋で母子の状態を見守っていた
年増の女性が口を開いた。

「え? ああ、看護士さん」
 彼はようやく気付いて振り向く。
「あのひと、わたしのお産のときもいたの」
 彼の妻がうしろから声をかけた。
「うちの先生はそんなことしません」
「犯罪者は大抵そう言いますよ」
 眉を寄せて彼は言う。

「くだらないニュースを見てごらんなさい。
初めはどんな人間だって言うんですよ、
『知りません、存じません』。
でも、どうですか? 
最後に言い逃れができないところまで
追い詰められると、結局
知ってました、やってましたとなるでしょう? 
関係者であるあなたの言葉など
信じるには値しませんね」
「でも……」

「じゃあ、これがぼくたちのこどもであると
証明してください」
 その言葉に、看護士は真剣に返した。
「わたしは、見ていました」
 だが、
「ぼくは見ていませんでした」
 一言で返されて唇を結ぶ。

「DNA鑑定でもしろと言うんですか?」
「DNA? あんなもの、
確率の問題にすぎませんよ。
両親二人のDNAと比較して、
どれだけ近いかを図るものです。
まったくの他人でも
ほぼ同じDNAを持つものもいれば、
ごくまれに生物学的な両親の子でも
異なるDNAを持つものもいます。
そんなものがなんの役にたつと言うんです」

 返す言葉を失った看護士は、
それでも半開きの唇からなにか喋ろうと努めていた。

 そのとき。ちいさなベッドから泣き声が上がる。
「あ〜、どうしたどうした、
ぼくのかわいい赤ちゃん」

 彼は駆け寄ると、
顔をしわくちゃにして泣く嬰児をのぞきこんだ。
「……え?」
 看護士のつぶやきに、彼の妻が困り笑いで答える。
「このひと、こういう人なんです」

 そして夫を見上げて、
「わたしたちのこどもだと証明できないことは、
この子がわたしたちのこどもじゃないと
証明されたのとは違う。
わたしたちのこどもだと証明できないのと同じように、
この子がわたしたちのこどもじゃないと
証明することもできない……でしょ? あなた」
 夫はその目を妻に向ける。

「そうだよ、ぼくのかわいいパイナップル。
いつも聡明な君に似て、この子も賢く育つだろうね」
 二人は熱く、キスをする。
 看護士はほとほとあきれた息を吐くと、
やりきれないように肩をすくめるのだった。