0025
2004-07-10
斜の国奇譚
 とある田舎の小さな村に
一人の旅人がやってきた。
 村人はそれぞれいくばくかの食料を手に、
数少ない娯楽のひとつである
旅客の話を聞きに集まるのだった。

 彼は地面に座って空腹を満たすだけ食べると
椀の上に箸を置き、問うた。
「さて、どんな話をいたしましょうか?」

 すると、
「もっとも奇妙に思った国の話を」
 どこからか声が返ってくる。
 彼はすこし考え、そして口を開いた。

「では、お話しましょう。
これは坂の上にある国、斜の国のことです」
 周りの者それぞれの目を見、
深く穏やかな声で話し始める。

「いつごろからそうなったのかは知りませんが、
そこではすべてが坂に対して垂直に立っていました。
家もしかり、人もまた然り」
 彼は箸を取ると、斜めにした片方に対して
もう片方を垂直になるように合わせて見せ、
「こうして見れば傾いているのがわかります。
でも、実際にそこにいる者にとっては
何が傾いているのかわからない、そんな国です。
それにいつの世のどこの国とも同じように、
かの国の大人もその子らに
まっすぐ育って欲しいと願っていました。ですが――」
 箸を置くと、身を乗り出してささやくように言った。

「大人たちは自分たちのこどもが
まっすぐ育たないと言って嘆くのです。
実際、わたしから見れば、
こどもたちはまっすぐに育っていました。
……坂に対して垂直に。
しかし、悲しいかな。大人たちは大人ゆえか、
真の垂直、海のように平らかな水に対して
垂直に立つということを知っています。
けれど、周りは見れど自分の身には気付かないでいたのです」

「まさか、そんなことがあるものかね?」
 上がる疑問の声。彼は軽く首を振ると、
「ええ。そしてこどもたちは周りすら見えず、
自分たちこそ真に鉛直に立っていると思うのです」
 小さくため息をついた。

「けれど、真にまっすぐ育つこどももあります。
大人たちはそういった子を喜びますが、
こどもたちは違います。
自分たちにすれば彼こそが傾いている人間。
そこで力の限り、あらん限りに彼をばかにし、
けなし、彼に変わることを求めるのです。
……これが、わたしの見た斜の国です」
 大きなため息混じりに話をくくった。

「ほう。そんな国があるとはなあ」
 周りの面々が感心しうなづき合うさまを
冷たい目で見ていた旅人であったが、
突然すっくと立ち上がると、
「これはどういうことでしょうか?」
 彼は訊ねる。

「わたしには皆さんが傾いて見える。
それとも皆さんにはわたしがかぶいて見えるのでしょうか?」
 斜めに見上げる人々。
彼はとっくりを取ると杯に酒を注ぎ、
人々の前に捧げて見せた。
「それは、これが教えてくれるでしょう」