0242
2006-03-15
差別と平等
 週末。教育実習に行っている友達から電話がかかってきた。
 クラスのことや、授業のこと。いつも気丈な友達の愚痴。
「でもいいね、最近の子って。
クラスもずいぶん少人数になったんでしょ?」
 わたしが言うと、
「ところがですよ。問題は生徒の人数じゃないんだなあ。
なんだと思う?」
「え? なんなの?」
 ききかえすと、ひとつため息。

「たとえば普通のとき普通に振舞える子なら、
何十人いたって平気。でもそこに、
授業中に騒いでみたい子が一人入ると、
それだけでもうすべてがむちゃくちゃ。
教室の空気が、その子をうっとうしく思うような
しらけた感じになるのが痛いほどわかるんだよ」
「へえ〜」
「クラスからその子を抜いてくれるだけでうまく行くのに、
それは差別だって言う。
でも、クラスの授業に合わないと認められた子は、
別の教室で先生がつきっきりで丁寧に教えて。
勉強がわからないからおもしろくなくて、
おもしろくないからやらないでさらにわからなくなって。
……その子だって、そうやって教えられたら
すごく伸びるのかもしれないのに。
運動会で競争すらさせないっていうような
エセ平等ばっかり振りかざしてるから、
差別と区別の違いもわからなくなるんじゃない。
真の平等がなんなのか、
はじめっからこどもたちに教え込ませたいよ、わたしは」

「へえ、なんなの?」
「完全な個別主義。トイレにしても健康診断にしても
電車にしても、男女で分けるんじゃなく、個別。
生徒一人一人に一教師。
徹底した差別化こそが、真の平等になるんだ。
でもそれにはどれだけ手間とお金がかかるか……。
そんなのできるわけないじゃない。
世の中なんて差別以外になにもないって」
「でも、がんばるんでしょ? 
ずっと目標にしてたんだもんね、先生」
「だからこそ、やめた」

「ええ? どうして?」
 驚いて訊ねると、
「そのうち、教師が障害者でも雇うような体制になったら、
そのときにこそ応募するよ」
 大好きな友達は、静かに口にした。
 いつか、幸あれと。わたしには願うだけしかできなかった。