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2006-03-22
予襲・復讐
 ずっと憧れていた人が死んだ。……殺された。
 ただそのとき、そこにいたというだけで。

 横断歩道に車が突っ込み、
他の何人かと一緒に彼女は帰らぬ人となった。
 おれの人生を救ってくれた人だった。
笑顔がとてもすてきなひとだった。
 なのに、なぜ死ななきゃいけない?

 やりきれなさに事件のことを調べていくと、
知りたくもない事実がわかった。
 犯人は自分の家庭もある居酒屋帰りの中年。
いいだけ酒を飲み、そのまま車に乗り、帰ったらしい。
その結果が……あれだ。

 なぜそんなことになった? なぜそんな奴が罪を償える?
 罪を犯したものが刑務所に入れられ、罪を『あがなう』?
 誰の許可であがなうのだろう、
なぜたかが時間をすごすだけであがなったと
許しを与えられるのだろう?
 死んだものは、それを挽回する機会など与えられないのに。
 ……憎い。世界が憎い!
 一度だけでいい。おれのすべてを捨てたっていい。
やりなおすチャンスがもらえるのなら、おれはなんだってする。

 そしてある朝、目が覚めたとき、おれは『その日』にいた。

 時計もテレビもカレンダーも、あのひとが殺される当日。
 それが夢でもよかった。
あの惨劇なんて、絶対繰り返させたくない。
 でも、どうすれば? 
おれなんかが彼女に死ぬから出かけるなと言ったところで
気味悪がられるだけで止められはしないだろう。
 なら、相手を止めるしかない。

 おれは聞いた話をなんとか思い出し、
男が寄った居酒屋へと向かった。
 週末の夕方。飲み屋のくせに
広い駐車場はほとんど車で埋まっている。
 何度も思い返してきた男の顔。
店から出てくるのを待っている間に、
それとは違う赤ら顔が何人も歩き去って行った。
運転席に乗り込む奴も何人もいた。
 もしかしたら、今日、人を殺す車は
一台だけじゃないのかもしれない。
でも、おれがそのすべてを知るのも、止めるのも、
かなわないことだった。

 彼女……、そう、彼女だ。
世界のすべてを捨てたって、
彼女が生きてさえいてくれればどうなったってかまわない。
 けれど歯をくいしばり、悔しさに自分の腕を握り締め、
周りを見ないことにしながらただ待った。
 そこへようやく、あの男。
 店の前で仲間らしき二人と別れると、
自分の車へ向かって歩き出す。

「待て!」
 おれは叫んだ。男は一瞬振り返るが、そのまま車へ歩いて行く。
「だめだ。あんたは車に乗っちゃいけない」
 肩に手をかけると、うるさそうに手を払い、
「なんだよ。他の奴らだって乗ってるだろ」
「ああ。でもあんたはだめだ。
このまま乗れば、三人を殺すことになるぞ」
 きょとんとした顔がゆがみ、笑う。
「そりゃ傑作だ。じゃあ今日は気をつけて運転するさ」
「酒を飲んで、なにが気をつけるだ。
あんた、家族がいるんだろ。
三人殺したあんたがどうなるのかわかるのか? 
それで殺されたほうだけじゃない、
あんたの家族もどれほど苦しむのか、わからないのかよ!」
 するとむっとした顔でおれの肩を押し、
「だいじょうぶだって言ってんだろ、この酔っ払い」
 いかれてんじゃないのか。
ぶつぶつとつぶやきながら車の鍵を開けようとする。

「この……」
 思わずあたりを見回し、
目に付いたレンガのようなものをひっつかむ。
「くそやろうが!」
 後ろから頭に向かって振り下ろすと、ゴス、と
鈍い感触がして男は車をなめるように地面に滑っていった。
「きゃあああ〜!」
 女の声。振り返ると、暗がりに顔はよく見えないが、
軽い格好をした女がおれを見て叫んでいるようだ。
「なにしてんだよ、あんた!」
 そばにいた男が叫ぶ。
 ああ、おれは……。
倒れた男を見ると、薄い髪の下から流れ出す血が
駐車場のライトを反射してぬらぬらと鈍い光を映していた。
「いや、違うんだ。こいつはさ、おれの大切な人を……」
 嫌に重くなり、手から滑っていく石の塊。
「殺す、はずなんだ」