0264
2006-03-23
意念・意守
「なあに、なに怒ってるの?」
 わたしの肩を温かい手でたどるお師匠が訊ねた。
「気の乱れ……ですか?」
 たずねると、
「ううん。長年の経験」
 たぶん、わたしの後ろで深くしわのきざまれた顔で
いつものように優しく笑っているのだろう。
「で? どうしたの?」
「わたしの友達……ううん、知りあいなんですけど。
別れた相手から脅されてるらしいです。『
いっしょにいられないなら死んでやる』って」
「あらあら」
「それで友達は、『なんでこうなるの』って文句をわたしに。
『ただ幸せになりたいだけなのに』? 
何回相手を変えて、それでどうして
そんなこと言えるんですか? 
幸せなんてそれ自体で手に入るものじゃなくて、
何かをして、その結果ついてくる、
おまけみたいなものだと思うんですよ。
相手の人も、なにそれ? 
自分の命で脅したって、相手の愛なんて戻るはずないのに。
よけい相手を離す行為だってどうしてわからないんですか」

 ひとしきりわたしが不満を吐き出す間、
何も言わずに聞いていたおばあちゃん先生は、
「そうねえ」
 どこか楽しい事でもあるように、おっとりと口にすると、
「ねえ、発気してみて」
 いつものように言った。
「え? ……はい」
 ぱしん。
 両手のひらを胸の前で打ち合わせ、意識を集中する。
 頭の上にふわりとたゆとうもの、体の中にあるもの。
あたたかな流れが集まって指先を浸す姿。
 でも、胸のところにあるものが邪魔をして
流れがうまくまとまらない。

 そこで深く呼吸を整えながら、体に残るものを出す。
 天から降り、地に行くもの。
地からのぼり、天にゆくもの。
一本の柱、めぐりくる命。その端っこがわたしにとどまる。
「はい、握手」
 ぼうっとする中声をかけられて、わたしはそっと手をだした。
 その手を握ったお師匠は、
「どうして今、意念したの?」
「え?」
 その言葉に、わたしの意識がすこし目覚める。
「思うこと、思い続けること」
 どこか体に染み入るような声で、
わたしの片手にもう片手を添えて、言った。
「人は、きっかけがなければ意念することさえ難しい」
 熱いほどの手から流れてくるぬくもり。
「いわんや、意守をや、よ」