0267
2006-03-24
かみさま@ヘブン
 ピポーン。

 軽い音がメールの受信を終えたことを伝える。
「どれ……」
 小学生とは言え、娘あてのメールを見るのは
多少気が咎める。でも、毎日死を伸ばすためだけに、
苦痛でしかない投薬と検査を受けるあの子に、
業者や悪意のメールを見せるわけにはいかない。
 だから最小限。明らかに悪質なメールだけを選び見て削除する。

 その中に、ふと目に付くもの。
『配信不能:件名「おねがいします」』
 宛先間違いで戻ってきたようだ。
どこへ送るつもりだったのだろう。
 マウスを合わせると、本来の宛先が表示される。
 ――かみさま@heven.com
「なんだ、こりゃ?」
 クリックして内容を表示する。
 かみさまへ

 かみさまがほんとうにいるなら、
 なんでわたしだけこんな目に合わせるのですか?
 他の子はみんな外で遊ぶのに、わたしだけ病院です。
 注射もお薬ももういやです。

 でも、おねがいはそのことではありません。
 わたしは死んでもいいです。
 でも、おとうさんとおかあさんが死んじゃったら、
 わたしは悲しいです。
 だから、わたしが死んでもおかあさんたちは
 元気でいられるようにしてください。

 これからは注射もお薬もがまんします。
 おねがいします。
「ばか……」
 画面がゆがみ、手の上にしずくの感触。
「ぼくたちだけ生きてるなんていやだよ。
キミが生きてなきゃ、元気でなんて
いられるわけないじゃないか」
 本当に神様がいるなら――願いが届くのなら。
 思わず転送ボタンを押し、娘のメールの下に文章を加える。
 わたしたちには、娘が必要です。
 娘が治るというのなら、
この命なんていますぐにでも差し上げます。
 でも、娘にはわたしたちが必要のようですので、
 娘に大切な人ができて、
人生を歩いていけるようになったなら
 わたしの魂を召してください。
 その間はどんなこともします。
 娘さえ生きてくれたら、わたしはどうなっても構いませんから。
 どうか、どうかお願いします。
 神様がいるなら、届いて欲しい。
 アドレス欄の宛先を変える。
 ドットコムなんてどこかの会社じゃあるまいし、
ヘブンらしい単語もスペルが違う。
どうせなら、paradise.heavenでどうだろう? 
それから神様の名前は……。
「神様……?」
 ちくしょう! ぼくは神様の名前なんて知らない。

「ニャー」
 足元から小さな鳴き声とまとわりつく感触。
「なんだ、もうおなか減ったのか?」
 目をこすりながらのぞきこむと
ネコはぼくの膝に飛び乗り、
そのまま机の上にまで駆け上がった。
「あ、こら」
 キーボードを踏んづけ、マウスを落とし。
横の棚へとジャンプして、床へ。
からかうようにぼくを向いて一鳴きすると、
ドアの隙間から部屋の外へ出て行った。
「こら、なにがしたかったんだ?」
 声をかけるけれど、ドアにからませるように
一撫でしたしっぽも去って行く。

 いすに座りなおし、くるりと回してパソコンへ。
「あ、れ?」
 ない。メールがない。送信済みにもごみ箱にも、影も形も。
 ……ははは。なにやってたんだろう、ぼくは。
 思わずため息をこぼし、いすにもたれていると、
 ――ピポーン。
 メールが届く音。
 流し見るメールは差出人が空欄。
 そのまま消そうとしてタイトルを見たとき、
心臓が飛び出すほどに体ごとばくんと跳ねた。

 『返信:転送−おねがいします』

 食いつくように画面に寄って、震える指先でメールを開いた。