0426
2006-05-11
道が違えば
「じいさんすっかりボケちゃってたな」
 病院から出てきた若い夫婦の片方が口を開くと、
「おばあさんも大変だね」
 もう片方が応えた。
 それからすこし何も言わずに歩き、男性が訊ねる。
「なあ、もしぼくがあんなふうになったら、どうする?」
「うーん」
 女性はすこし考える気配を見せて、
「あんなふうにできるかはわからないけど、ちゃんと介護するよ」
「それは、なんで?」
「え?」

 彼は真剣な目で彼女を見て、
「そこにいるのは、ほんとうにぼくなのか? 
ぼくをぼくでいさせるなにかがなくなって、
そこにいるのはぼくの形をしただけの別なものなのに、
それでも介護できるのはなんでだ?」
「だって、どんなになってもあなたはあなたじゃないの?」
「違うよ。ぼくはぼくが思うところにおいてのみ、
ぼくでいられる。そんな魂を失っても体だけあれば、
それがぼくになるわけ? ……なんだかすごくうさんくさい」
 その言葉に彼女はすこし眉を寄せる。

「寝てたって酔っ払ってたって正体をなくしてたって、
あなたはあなたでしょ? 
そのときは知らない人みたいに接して、
しらふではっきりしたら突然愛しだすなんて、
そっちのほうがうさんくさいと思わない?」
「うーん、そう言われればそうかなあ」
「じゃあ、逆にわたしがぼけたら? 
あなたの知るわたしがいなくなった、
壊れたって嘆いて見ないように目をそむける?」
 夫は言葉を失って、それからため息まじりに口を開いた。
「なんか……将来を思うとろくでもない気分になるな」
「そんなもの。そのうちいろいろあきらめていって、
結局することをするようになるのが人生かもね」
 ふたりあきらめたように笑って手をつないだ。