「じいさんすっかりボケちゃってたな」
病院から出てきた若い夫婦の片方が口を開くと、
「おばあさんも大変だね」
もう片方が応えた。
それからすこし何も言わずに歩き、男性が訊ねる。
「なあ、もしぼくがあんなふうになったら、どうする?」
「うーん」
女性はすこし考える気配を見せて、
「あんなふうにできるかはわからないけど、ちゃんと介護するよ」
「それは、なんで?」
「え?」
彼は真剣な目で彼女を見て、
「そこにいるのは、ほんとうにぼくなのか?
ぼくをぼくでいさせるなにかがなくなって、
そこにいるのはぼくの形をしただけの別なものなのに、
それでも介護できるのはなんでだ?」
「だって、どんなになってもあなたはあなたじゃないの?」
「違うよ。ぼくはぼくが思うところにおいてのみ、
ぼくでいられる。そんな魂を失っても体だけあれば、
それがぼくになるわけ? ……なんだかすごくうさんくさい」
その言葉に彼女はすこし眉を寄せる。
「寝てたって酔っ払ってたって正体をなくしてたって、
あなたはあなたでしょ?
そのときは知らない人みたいに接して、
しらふではっきりしたら突然愛しだすなんて、
そっちのほうがうさんくさいと思わない?」
「うーん、そう言われればそうかなあ」
「じゃあ、逆にわたしがぼけたら?
あなたの知るわたしがいなくなった、
壊れたって嘆いて見ないように目をそむける?」
夫は言葉を失って、それからため息まじりに口を開いた。
「なんか……将来を思うとろくでもない気分になるな」
「そんなもの。そのうちいろいろあきらめていって、
結局することをするようになるのが人生かもね」
ふたりあきらめたように笑って手をつないだ。