0518
2006-06-08
初心者向け主人公
 彼は優しくて、まじめで、なによりわたしを大事にしてくれた。
 ほとんどのところに不満はなかったけど、
いつも持っている重たそうなバックパックが気になって
しかたなかった。
 デートのときくらい、ハンカチとかティッシュとか。
使うものだけ持って、あとはわたしが貸すから
身軽でいてほしいのに。
 そしてある日のこと。奮発した彼が誘ってくれた
豪華客船での旅は――船の沈没という最悪の結果で幕を閉じた。

「ん……」

 ざざーん、ざざーん。
 目を開けると、あたり一面から波の音。
体がつめたくて思わず身震いした。
 体を起こして見渡せば、海と、砂浜。
それと、わたしのそばに見覚えのあるバッグ。
 ――彼のだ。

 もしかしたら。
 わたしは思う。
 ここは無人島で、生き残ったのはわたしひとり?
 不思議と、なにも感じなかった。
とりあえずわたしは生き延びなくてはいけない。
 その思いだけがわたしを動かした。
 おねがい、力を貸して――。
 彼のかばんに手を伸ばし、その口を開ける。
なにか役に立つものが入っていればいいのだけれど。
 横の小さな部分には、びしょびしょに濡れたティッシュ、
電池がいらないライト、それとツメ切りに……
ロープや小さなカッターナイフ、布きれが入っていた。
 大きなところを開くと入れ物があり、
その中には水でも濡れない包装に入った
ブロックの栄養食が二つと、
缶コーヒーが二缶。そして万能ナイフというのだろうか、
たくさんの機能がついたものと、
一か月くらいは持ちそうなかぜ薬と胃腸薬の小瓶、
あとなにかわからない薬、ライター、方位磁石、針と糸、
プラスドライバーとちいさなのこぎり。

「ふ……ふふ……」
 見ていたら、なんだかおかしさと悲しさがこみ上げてきた。
「なんで、こんなのいつも持ってたの……?」
 最後の小さな缶をいじりながら、
海に比べて小さすぎる塩水にゆがむ視界でつぶやくと、
「なにかあった時のためにさ」
 後ろから声が聞こえた。
 まさか、この声……!
 振り向くと、もう二度と会えないと思った人がそこにいて、
柔らかな笑顔で言った。
「あ、それはここで開けちゃだめ。マッチと火薬だ」