0565
2006-06-19
あたりまえ
 ものを見る、ということを初めて知ったのはいつだったろうか。
 それを思うとき、わたしはいつもあのときの場面を思い出す。

 あれは……わたしがまだ幼かった頃、たしか夕方の公園。
高台の端、柵に浅く腰かける年上の少女を見かけた。
 気にしはじめてからよく見る姿。
次第に興味を抑えきれなくなり、わたしは声をかけた。
「なにしてるの?」
 その声に遠くを見るような頭がついとすべり、
静かな目がわたしをとらえる。
「さあ……。なにもしてないつもりだけど、
なにもしないことをしてたのかもね」
 日を後ろに浴びて陰になる表情。
顔はもう覚えていないけれど、怖いくらいきれいで息を飲んだ。
 そのときわたしはどんな顔をしていたのだろう。
彼女はふっと笑って、
「あえて言うなら、世界を見てた」
 そう言った。

「え?」
「あなたは、この地面は球(きゅう)と書いて
『球い(まるい)』と読むくらい、まるいと思う?」
「え? うん」
「どうして? 見たことあるの?」
「ないけど、でも、だって……スペースシャトルから、
とかもやってたし……」
「ああ。あの映画、見た?」
 薄く、でも楽しげにふわりと笑って。
「映画なの?」
「さあ、知らない。でも、それが作り物じゃないって、
どうして知ってる?」
「え、だって……そしたら他のだってそうじゃない」
「そうだよ」
「えっ?」
「でも、大抵それが本当か、なんて疑わない。
だって『あたりまえ』なんだからね。
自分の目で確かめること、それはとても大切なこと。
自分の目で見たら地球はほんとは板かも知れない。
もしかしたら本当にまるいかも知れない。
でも、まるくたっていい。大切なのは自分の目で確かめたこと、
それ自体なんだから」
 そしてわたしの目を見ると、言った。
「あたりまえだからこそ訊きたいんだ。
あなたの地球はほんとにまるいですか? 
あなたがあたりまえと思っているものは
ほんとにあたりまえですか?」
 わたしはこたえる言葉もなく、ただ、訊いた。
「ほんとは……まるくないの?」
「さあ」
 彼女は口の端、すこし冷たい笑みを浮かべて。
「まるければ端なんてないはずなのにね。
わたしはいつだって世界の隅。世界の果てに追いやられてる」