「せんせー、この俳句、どう?」
「どれどれ?」
ずきずきと花火の音が身に響く
ノートに書いた俳句を先生に見せてみると、
「う〜ん、どうかな」
あまり良くない顔をした。
「そうだよね。余韻もあるもんじゃないし、だから何って感じ?」
「あはは、わかってるじゃないか……って、微妙にひとごとだな」
「うん。これ、先生が好きだって言う人の俳句」
「なにっ?」
それから何日か後、学級通信でその俳句が紹介されていた。
『この句は病気にかかり常に疼痛に悩まされた作者が
病床で書いたものです。健康なときは
花火をそばで見て楽しみもしたでしょう。
でも今は思い出に浸ることすら許されず、
打ち上げ花火の大きな音の振動にさえ体の痛みが起こる状況。
そういった無念さ、やるせなさがぎゅっと凝縮された、
深い味わいをかもしています』
「そうか、なるほど!」
それを見て、俳句の何たるかを急激に理解した。
「一度売れた人間が書けば、どんなものでも名句になるんだ」