0679
2006-07-20
生きる力
 こどもたちに『生きる力』を身につけさせるのが
学校の目標とされてから、どれくらいたったろう。
 教員生活を終えた今、思い返せばそれが
本当にこどもたちのためになったのかと疑問に思うこともある。
だが、一番の心残りは、一人の生徒だ。まじめに勉強に取り組み、
クラスでもリーダー的存在。でもある大雨の日、
行方不明になってしまったのだ。
 わたしが受け持った生徒の中、ただ一人卒業できなかった彼は
生きていたらどんな大人になったのだろう。
そう思うと悔しくてたまらない。

 そんなある日、ニュースでふとしたものを見た。どこか外国、
陸の孤島で十数年も一人で暮らしていたらしい人間が
発見されたという話だ。
「いや〜、もう参りましたよ」
 と、その中年になりかけの青年は
さわやかな笑顔を浮かべてレポーターに語った。
「雨の日に川に落ちて流された後、
木にしがみついたり泳いだりしていたら
この島にたどり着いたんです。直後は必死でしたけど、
結構どうにかなるものですね。
木の繊維で布を作り、服を作り。ヘビだの獣だのの皮をはいで
靴を作り、暖をとり。あとは石を組み合わせて
電子レンジを作ったり、魚をつないで発電機を作ったりしてましたよ」
 そうして映される彼の家らしいものには、
表札に忘れることのできない名前。

「なんだって!」
 わたしは思わず飛びあがり、食い入るように画面を見つめる。
まさか、この青年が。あの日いなくなった彼だというのか?
「いまはなまこでパソコン作ってるところだったんですけどね。
生きて故郷に帰れるなんて夢みたいですよ」
「帰ったら、一番にしたいことはなんですか?」
 レポーターの問いに、
「それなら、ずっと思い出していた、ぼくの先生です。
ここまで生き延びられたのは、厳しかったけれど親身になって
『生きる力』を指導してくれた、先生のおかげですから」
「そんな……うそだろう」
 わたしは思わずつぶやいた。
「生きる力教育はそんなのじゃないぞ……」