0691
2006-07-24
心の支え
「安易に死を選んじゃいけない。生きろ」
 その言葉がおれを支えていた。

             *

「このたびはご愁傷様でした」
 夫を失って悲しむ、その妻に声をかける。
男はおれの友達だった。
「でも、ご主人が亡くなったからこそ、
保険金でそれなりの生活もできるようになったでしょう。
あのまま生きていれば二人で食いっぱぐれで
路頭に迷っていたはずですから」
 すると悲しい顔を上げ、
「それでもわたしは、あの人と一緒に生きたかった……!」
 ぼろぼろと涙をこぼした。
「そんなのも察せず、あいつが安易に死を選んで、
さぞおつらいでしょうね」
 奴の妻は涙の顔を上げ、
「あなたに主人のなにがわかるんですか! 
あの人がどれほど悩んでいたか、どれほど苦しみぬいて
死を選んだかわかるんですか!」
 おれに向って叫ぶ。

『わかりますよ。それがわかるのはたぶんおれだけです』
 言えない口をつぐむ。
『あいつのおやじが、おれのおやじに言ったことを
知ってますか? 金もなく仕事も干され苦しんでいた
おやじに言ったんだ。
「安易に死を選んじゃいけない。生きろ」って。
 生きろと言って何をしてくれるかと思えば、ただ言っただけ。
その日食べるものにも困る毎日だったおれたちに、
上から見下して言葉だけ投げやがった。
 仕事も金も地位も名誉も持っていた男に、
仕事も金もなにもなく、将来すら見えずに
死を選ぼうとする奴の気持ちの何がわかる?
 そんな言葉くれるくらいなら、金がほしかった。
一本でいい、パンがほしかった!
 けれどなにも与えられることもなく、
たぶん自らの身を遠くから見つめて……おやじは、自殺した。
 その憎しみをいつかはらそうと、おれは必死に生きた。
泥水をすすり、残飯もあさり、人から金も奪ったが、
必死に勉強もしたし、使える人間ならどんな奴とも付き合った。
だが復讐する前におやじを殺したあいつは死んでいた。
 だからこそ、その息子に近づいたんだ。
 表面は友達として付き合いながら、金も力も使って、
あいつから仕事を取り上げた。何にもわかってなかったよ、
あいつは。
 そして死ぬほど困った顔で相談してきたあいつに、
おれは言ってやったんだ。
「安易に死を選んじゃいけない。生きろ」と。
 その結果が、どうだ。

 あいつは死んだ! あいつは死んだ! 
おやじの苦しみをあいつに与えてやった。
 見ろ! 自分がいいことをしたと思いながら
人の身をつねるのは気持ちよかったろう? 
自分の身をつねられたら痛かったろう?
 だがな、おれは違う。あいつの生命保険の金は
おれが払ってやってたんだ。
 これからあんたが生きていくのは、おれの情けのおかげ。
自分の夫を死に追いやった人間の金だとも気付かずに、
みじめにすがりながらあんたは生きていくんだ!』
 その場ですべてを叫びだしてやりたいような、
なんとも言えない高揚感に、おれははじめて深く酔いしれていた。