0988
2006-10-19
言っちゃだめ
 おれは今まで、これほど他人と心が通い合う空間に
いたことはない。
 前のほう以外は薄暗いこの広い会場、
その場に居合わせるほとんどの人間が、
なにも言わなくても同じ気持ちを共有していた。
 結婚の誓いを済ませたばかりの二人を囲み、
口々にほめそやす人々。
「まあ〜、かっこいい」
 新郎に。
「わあ、きれい」
 新婦に。
 でもだれもが注意深く、主語を口にしないように
気をつけているのが痛いほど伝わってくる。
 そこへかわいくおしゃれした女の子が
新婦のそばに駆け寄り、叫んだ。
「わー、きれいー!」
 あたりに走る、肌も切れそうな緊張。
 『ウェディングドレスが』なんて言うなよ。
そのまま黙るんだ!
 祈るような視線の中、女の子は顔いっぱいの笑顔で
振り向き、言った。
「おかーさん、きれいだよね、およめさん」
 純粋な心に、思わず息を飲む汚れたおれたち。
 一つだけ聞こえた声は、女の子の母親のものだ。
「えっ、うそっ!?」