0996
2006-10-23
一番奥にあるもの
 放課後。委員会で遅くなったわたしが教室へ戻ると、
クラスの男子が一人で席に座っていた。
 ぼんやりというかだるそうにというか、
小さく頭を動かしてわたしを見ると、
またぼんやりとどこかを眺め始める。
 悪そうではないけれど、屋上の階段そばで
注射を打っていたとか、薬をやっているとかで
ちょっと噂になる人だ。
 そのまま帰ろうと思ったけれど、
なんだか気になってわたしは言った。

「ねえ、薬やってるって本当?」
 ん、とわたしの言葉に目が動く。それから、
「まあ、うん」
 気乗りしない風の言葉。
「あんまり……っていうか、良くないよ?」
 思わず言うと、
「なんで?」
「なんでって、犯罪じゃない」
 薄いほほえみ。
「つまり、まずいと思ってる根拠は法律で禁じられてるから、
だってこと? じゃあ法律で人を殺してもいいと、
むしろ人を殺せといわれれば、好きに殺しまくる?」
「え? 殺さないけど……それとこれとは話が別でしょ」
「そう? なんできみはそのときに殺さない?」
 どこか楽しそうに、わたしを見る目。
「だって、嫌だよ。気持ち悪いし、恨まれるじゃない」
「じゃあ、向こう本人とその家族も、『
どうぞ殺して』って言ったら、殺せる?」
「殺さない。やっぱ気持ち悪いし」
「じゃあ、きみがきみが人殺しをしないのは、
『法律で禁じられてるから』じゃなく、
『自分が殺したくないから』じゃないの?」
 そう言われちゃうと――
「そう、かな」

「でも、なら、どうしてドラッグはまずいの? 
きみはどうしてやらない? 『法律で禁じられてるから』なんて
言わせないよ」
「……やっぱり、嫌だから」
「なんでいや?」
「だって、あぶないじゃない」
「なにが?」
「やめられなくなっちゃうし」
「じゃ、ドラッグをやる人間はみんな中毒者だ、と?」
「みんなとは思わないけど」
「じゃあきみは酒やタバコはそうならないと思ってる? 
アル中やニコ中を知らない?」
「知ってるけど……」
「アル中のいいところまでいった人間は知ってる? 
自分だけの呪文をぶつぶつ唱えて、変なときに怒ったり怯えたり、
挙げ句の果てには死にたいとか言ったり、
実際死のうとしたりするから、
スポンジの部屋の中に入れたりするんだよ。
それとヤク中の人間とどこが違うと思う? 
……きみは自分がアル中にならないって言える?」
「そんなのは、飲む人次第じゃない」
「言ったね」

 にこりと笑って、
「え?」
「そう。すべてのものは使い方しだいだよ。
酒もタバコも……ドラッグも」
 わたしは思わず息を飲んだ。
「毒されてるねえ、君も。ずっとクスリはいけないって
周りに言われてたから、それがそういうもんだって
思い込まされてるだけなんじゃないの? 
まずは、自分の頭で理由を考えて。
ただ『いけないから』で禁じてると、
それが『いい』って言われたときには
つっぱしってく危険もあるよ」
「うん……」
 と、うなづこうとして気付く。
「じゃなくて。使い方次第だっていうのはわかるけど。
今だめだって言われてるんだから、
見つかったらつかまっちゃうよ?」
「ああ」
 細めた目でわたしを見て言った。
「薬は糖尿病の、だよ」