1009
2006-10-25
みと
 外国旅行で観光地のトイレに入ろうとしたら、
かっこいい男の人が係の人に止められていた。
 すらりと高い背、整った顔立ちから発せられる言葉は
ここの国のものではなく、言い合いに高ぶっているのか
大げさな手振りで一生懸命訴えていた。

 [わたしは]、[そこに]、[入りたい]。

 言いたいことはわかるけど、そっちは女子トイレ。
 たくましいおばさんはでんと構えて首を振り、
 [あんたはあっち]。
 別の入り口の男子トイレをさしているのに通じない。
『ああもう、なんでわからないかな』
 男の人がつぶやいたのは、わたしがわかる言葉。
 そこでおせっかいだと思ったけれど、声をかけてみた。
『えと、あの、場所が違うって言ってるみたいですよ』
 なんとか訳して、男の人へ。
『場所?』
 はるか高いところからわたしを見下ろす瞳。
『こっちは女性用で、男性用は向こうです』
『それは、女性器用、男性器用ってこと?』
 性器。ぎくりとしたけれど、なんとか答えた。
『そう、です』
 するとわたしを見る彼はまっすぐに目を合わせて、
『あなたは男と女をどうやって区別してる?』
『それは……その……それ、で』
『ほんとに? 性器ってそんなに大事? 
ほんとに見分けられるもの?』
『だって、わからなかったら困ります』
『あなたは男性? 女性?』
『女性です』
 さらに続けて訊いた。
『じゃあ、寝てる間に手術されて、性器がなくなってたら
自分を男性・女性のどっちに思うとおもう?』
『それは……女性』
『じゃあ、性器が男性のものに変えられてたら?』
『ええ? それは、どうでしょう』
『あなたは初めて会った人の性器に触ることはある?』
『え? ないですよ、そんなの』
『それじゃあ、変じゃない? 性を見分けるのは
性器だって言うのに、性器を触りもしないし、
見もしない相手にさえ、男性・女性の区別をつけられるなんて』
 そういわれれば……たしかにそうだ。
『この国でも、トイレは性器を使う場所でしょ? 
見た目を使う場所じゃない』
『そうです』

『だからわたしは女で、こっちのトイレでいいはずだって
さっきからそこのわからずやに言ってるのに』
 ええ〜! この人、おんなのひと?
 指で指してたのはトイレじゃなくて、女性のマークだったんだ。
 そこでわたしはなんとか知ってる単語を並べて
横にいるおばさんに説明しようと試みた。
『えーと、彼は、女性です』
 きょとんとした目。わたしを見て、その人へ。
『あ、彼女は、女性です』
 するとおばさんは大笑い。悪びれることなく笑いながら、
ようやく身振りで許可が出た。
『二人分ね』
 彼女がおばさんにわたしの分までお金を払い、
わたしを先に中へと押した。
『えと……え?』
 見上げるわたしにひとつウインク。
『ありがと、かわいいお嬢ちゃん。
迷子にならないうちにおとうさんのところに戻らなきゃ』
 迷子……?
 もしかして、はたちを超えてるなんて
夢にも思ってない、とか?
「見た目って、結構残酷だなぁ」
 わたしはこぼれるため息につぶやいた。